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本文7970文字/226行。総執筆数39510(内訳:追加文字数23763/削除文字数15747)。
ショートショート。
【グッ・ド・ラック】
 くだらない人生だった。何もいいことはなく、痛みと別れと裏切りだけが思い出のすべてだ。
 人の命になんて大した価値なんてないと悟ってからは、いかに楽しく余生を楽しむかに知恵を絞って生きてきた。一生分の苦労を背負ったがゆえに、もはや指一本動かしたくはない。働きたくはない。人としての道など歩みたくはなかった。
 かといって死にたいわけではない。
 一生分の辛酸を味わったのだから、こんどは一生分の快楽を味わいたい。この欲求は極めて全うだ。
 畢竟、人間のしあわせなんてものはいかに脳内麻薬を分泌させるかだ。薬を使って手軽にそれを手にできるのなら悩むことはない、手を伸ばせばいい。掴めばいい。味わい尽くせばいいのだ。
 だが極上のドラッグを手にするのには、それなりの対価がいる。臓器の一つや二つを手放すくらいならば安いものだが、それでも足りないほどの至極の快楽を味わえると知ったならば、是が非でもそれを知っておかねば、生きている意味がない。
 そのために命を差しださねばならないのならば、いくらでも擲とう。差しだそう。この汚泥が濃縮還元されたような命でいいなら、好きなだけ持っていってほしいものだ。
「では、本当によろしいのですね。あなたの今後いっさいの未来、可能性、自由、命を我々はもらい受け、好きに扱う。その報酬として、あなたには極上のドラッグを提供しつづける、その命尽きるまで」
「ああ、頼む」
「では契約を」
 拇印を捺し、書面にサインをする。これで残りの人生は、極上のドラッグを血液にそそがれつづけて生きることとなる。快楽に塗れ、そして死ぬ。
 これ以上の至福はない。
 死んだあとの遺体がどう使われようと知ったことではない。ドラッグ漬けの身体を弄ばれようと、実験に使われようと知ったことではない。どのような外部刺激も、極上のドラッグの快楽によって流され、上書きされ、至福として認知される。
 世の中には善人がいるものだ。どんな対価を払っても、至福にまみれた余生を送りたいと所望する者はあとを絶たないだろう。たとえそれが安楽死に繋がろうが、安楽に死ねるならばよいではないか。善行以外の何物でもない。
 失神してはまた失神する。意識のあるあいだは絶えず、累乗する快楽の波にもまれ、体液を垂れ流しつづける。
 もっと、もっとだ。
 快楽は留めどない。全身の痙攣の振動それそのものが次なる極楽への門を開け放ち、快楽の極みへと昇らせる。
 だがそれも段々と、門が見当たらなくなっていく。
 バタバタと開けては昇り、開けては昇り、を繰り返しているうちに、門と門との間隔が広がっていき、間もなく、天と地ほどもの距離となって、遠くに点となって見える門があるばかりとなる。
 快楽の波には浸かっているが、もはやその程度の波では刺激にもなりはしない。くすぐったくすらなく、麻痺した皮膚を指でなぞるくらいの知覚しかない。
 おかしい。
 何かがおかしい。
 意識はなかなか眠りに落ちず、それでいて血管にはなおも極上のドラッグがそそがれつづける。
 全身からは体液がほとばしり、なぜかその体液は余さず、機器によって吸い取られていた。
 そう言えば、と冴えわたった思考で疑問する。
 この極上のドラッグの製法とはいかなるものか。
 ドラッグは日夜改善を繰り返し、一滴でも舐めればひとを快楽の虜にするほどの劇薬もいまでは珍しくない。まるで砂場に海水を撒き、それを繰り返すことで塩の結晶を濾しとるような、或いは原油を蒸留し、凝縮を繰り返すことで、純度の高い燃料を抽出するような、そうした分留を思わせる。
 濃縮しているのだ。
 極上のドラッグを大量に摂取させ、その体内で濃縮した体液を回収することで、さらなる良質なドラッグを開発している。
 我が身はそのための供物、装置、肥しとなっている。
 文句はない。そのはずだった。
 快楽が途切れぬ限り、それは本望であったはずが、いまではもう慣れてしまった。
 快楽の坩堝に。
 温泉に浸かるよりも卑近な刺激、いいやもはや感覚などなくなり、ただ息をして思考するだけの、体液垂れ流し装置になってしまった。
 いったいこれはいつまでつづくのか。
 指一本動かせぬ身体になっていながら、意識だけは鮮明で、声すらだせずに、ただ、無為な時間に身を浸す。
 地獄のように。
 マグマのように。
 広漠な冷たく暗い虚無の海を、ねっとりと揺蕩い、流される。
 刺激がない。つまらない。何か楽しいことがないだろうか。できるだけ苦労せず、努力せずに、称賛を浴び、注目を集め、誰からも慕われ、尊敬され、うらやましがられるような存在になりたい。
 名声が欲しい。
 人類史に名を残し、ほかの偉人たちからも偉人と崇め奉られるような境地に立ちたい。
 なるべく苦労せずに。
 楽しみながら。
「そんなことあるわけないですよ」
「そうかなぁ。こう、ボタン押したら、ぱっぱらー、って最強になりそうな気がするんだけどなぁ」
「そんなボタンがあったらとっくに誰かほかのひとが押していますよ」
「そうかなぁ」
 学校に内緒でバイトをしていたら、常連さんと仲良くなった。たまにこうして夜中に、公園でブランコに乗りながらしゃべっている。人生相談という名の愚痴だ。バイヤさんは十歳は年上の男の人だが、細身で、長髪を束ねている姿はどことなく女性に見えなくもない。化粧をすればなかなかに美人なのではないか、と睨んでいるが、無駄に外見を磨かれてもこちらが惨めになるだけなので、そうした助言になりそうなことは言わずにおいている。
 モテないのである。
 異性からも同性からもからっきしなのである。
 じぶんの性別がいったいどちらなのかが解からなくなるほどに他者からの好奇の念をそそがれずにきたので、いまさらじぶんの性別を二分して、さあどっち、と考えたくはない。どっちだっていい。とにかくモテたいのだ。
 刺激がない。
 そう零すと、バイヤさんは、
「じゃあ刺激、あげようか」と言った。
「え、欲しい。でも、どんな刺激によるかも」バイヤさんに初めてため口をきかれて、ちょっとドキっとした。嫌な気分というよりも、距離が縮まったような感じがして、端的に、友達みたいでうれしかった。「刺激って何」
「これ、気分がよくなる薬なんだけど」
 ポケットから市販のラムネを取りだした。袋詰めのラムネだ。
「お菓子じゃん」
「中身は違うよ」
 ほら、とバイヤさんは手のひらに中身を転がす。熊や蝶を模したカラフルな錠剤だ。「飲んでみる?」
「危ない薬じゃないの」
「安全な薬をぼくは知らないからなぁ。ただ、違法ではないよ」
「危険ドラッグとかじゃないの」
「それにもまだ指定されてない」
「それっていずれは違法になりますって言ってるようなものじゃん」
「そうかもしれない。だから試すならいまのうちだと思うんだけどな」
「バイヤさんも飲んでるの?」
「じゃなきゃ持ち歩かないよ」
「飲んだらどうなるの」
「気持ちよくなるよ。それはもう、天国にいるみたいになる」
「でも飲んだところでバイヤさんはバイヤさんだもんなぁ」
 暗に、イケてる姿になるわけじゃないよね、とからかう。
「こう見えてぼくはインターネットのなかではそれなりに有名人なんだけどな」
「またまたぁ」
「本当だよ。ほら」
 メディア端末の画面を向けられ、そこにあるアカウント情報を見る。人気があるなんてもんじゃなかった。いまや知らぬ者はいないほどの超有名情報発信者だった。たった一言の文章に、何万、何十万もの反響がある。企業がこぞってスポンサーとなりたがり、商品の宣伝に利用しようと躍起になっているのに、一顧だにしない姿勢など、クールの代名詞としていまや若者に留まらずその知名度、影響力はすさまじいものがあった。
「いくらなんでも信じられないんだけど」
「何かつぶやいてほしいことある?」
「じゃあ、好きな食べ物とか」
「お好み焼きって書いとくね」
 管理画面を操作している。アカウント名はやはり例の人気者といっしょだ。
「書いたよ。ほら」
 見せられた画面には、お好み焼き、と書きこまれていた。例のひとのアカウントだ。
 本物だ。
 ためしにじぶんの端末でも確認するが、やはり人気者のアカウントには、お好み焼きの文字があった。
「偶然でしょ。好きな飲み物とか」
「コーラでいい?」
 バイヤさんは端末を操作する。例のアカウントに新しく、コーラの文字が浮かぶ。
「本当に本人なの」
「さっきからそうだって言っているよね。冴えないぼくがなんでって思うかもしれないけど、だからそれもこれもこの薬のお陰なんだよ」
 飲んでみたら分かるよ、と言われてしまえばもう、断る道理はないのだ。
 有名になりたい。
 名声がほしい。
 誰もかれもからチヤホヤされたくて仕方のない我が身が、禁断の果実を目のまえに差しだされて無視できるわけがない。
「ありがとう。でも、タダじゃないですよね」
「タダでいいよ。きみとぼくとの仲じゃないか」
「なんていいひと」
 ん、と拳を突きだされたので、その下に両手を差しだす。お駄賃ください、みたいな格好で、色とりどりの錠剤を受け取った。
「全部一気には飲まないほうがいいよ」
 言われたときにはすで、両の手のひらを口に押しつけていた。
 ごっくん。
「飲んじゃいました」
「ええぇ。どうなっても知らないよ」
「そんなぁ」
「まあ、天国は天国だろうから、楽しむしかないよ。また欲しくなったら言って。いっぱい持ってるから」
 バイヤさんとは公園で別れた。
 とくに注意事項はなく、効果は段々でてくるから、と言い添えてバイヤさんは去った。
 家にまっすぐ帰ったが、ベッドのうえに寝転んでも、とくに変わったところはなく、ひょっとしてからかわれたのでは、とようやくというべきかその可能性に思い至った。
「なんでい」
 バイト終わりだったこともあり、疲れてそのままふて寝した。
 翌朝、目覚めは最悪だった。
 頭が重く、思考はモヤがかっている。
 視界は暗く、どことなく風景がモノクロに見える。
 ジュースを口に含むが、味がしない。
 甘いとしょっぱい以外の味覚がなくなったかのようだ。
 もっと刺激のある食べ物を口にしたくなって、熟考の挙句、大根おろしを食べることにした。
 ちょうど大根が余っていたので、おろし金に押しつけて、すりつぶしていく。
 単調な作業だ。
 寝起きだったこともあり、欠伸をしたのがよくなかった。
 手を滑らせ、ごりっと嫌な感触がゆびさきに走った。
 やっちまった。
 血の気が引いたが、引いた分を凌駕する勢いで、背筋に心地の良い痺れがぞわぞわと這った。それは指先からも伸び、首のあたりの脊髄に合流して、脳内にパリパリと伝わる。
 視界が細かく弾け、景色に色がつく。
 指先は血で真っ赤に染まっていたが、しばらく恍惚と、その余韻に浸った。
 ひとしきりうっとりしてから、ふと我に返る。
 傷口は浅いが、顔を顰めずにいられないほどにジュクジュクと爛れていた。快楽の余韻に浸っているあいだにも、ゆびをおろし金に押しつけていたようだ。
 まるで自慰を途中でとめられなくなるような無我の境地に落ちていた。
 指先は怪我の割に痛みはない。消毒し、包帯を巻くだけでこれといった応急処置をせずにおく。というのも、消毒をしたら染みるだろうと覚悟していたのに、あべこべに生殖器を撫でまわすのに似た快感が指先から背筋へと伝い、脳髄を痺れさせた。
 快っ感っ。
 容器がカラになるまで指先に消毒液をかけていた。
 身体が異常だ。
 それはすぐに承知したが、かといって特別混乱はしなかった。とんでもない快楽が全身を襲う。ただそれしきの変化があるばかりで、もっと言えば痛みや苦痛を感じることはなく、いつでも絶頂するがごとき至福の時間に身を委ねることができる。
 ためしにじぶんでじぶんを慰めてみたが、しかしなぜか物足りない。ほとんど何も感じずに、生殖器が充血することもなかった。
 身体を痛めつけなければ味わえない至福なのかもしれない。
 そんな真似をじぶんからするのはさすがに嫌だ。
 いくらとんでもない快楽を味わえるからといってそんな真似するわけがない。
 半日ほどじっと耐えていたが、陽が沈みだすころにはもう、朝のあの煮えたぎった極楽の渦に浸かりたくて、浸かりたくてたまらなくなった。
 生きていないのだ。
 あの刺激のない人生などもはや生ではあり得ない。
 気づくと薄暗い部屋のなかでおろし金を手に取り、そこに指の傷口を押しあてている。
 暗いので目には見えない。
 だがゆっくり、ゆっくりと指を擦りつけていくとじんわりと熱を帯びた傷口から滾々と、本当に滾々と、至福の甘美な泉が湧いた。ぱつんぱつんに充血しきった生殖器を指先でクニクニと押しつぶすように、何度も、何度も、ときに激しくおろし金に指を上下に、ときに左右に擦りつける。
 パチパチと視界に火花が散る。
 チクチクとプツプツと脳みそのヒダの一つ一つが浮き彫りになる。ヒダの一つ一つに突き刺さった刺激が、パチン、パチンと連続して弾け、さらに快楽の波が脳全体、全身の細胞にまで染みわたる。
 手はぬるぬると温かい。
 しだいに腕に伝わる抵抗が増していく。
 気づくと、指のさきの点ではなく、手の甲全体、その面を、おろし金に押しつけている。暗がりに湿った音が反響する。ぴちゃん、ぴちゃん、と床にしずくが滴っていたのが、いまではボタボタと滂沱の雨と化している。
 もどかしい。
 こんなのでは足りない。
 まだまだずっと奥底、天高くへと昇っていける。
 腕を真上からゴリゴリと擦りおろすが、態勢がよくない。もっと全身を弛緩させ、快楽の渦に身を委ねたい。沈みたい。揺さぶられたいのだ。
 リキみたくはない。
 できるだけ何もせずに、快楽の刺激をこの身に宿さねば。
 脱ぎ捨ててあったTシャツを手首に巻きつけ、そとに飛びだす。
 止血のために縄跳びの縄を手にとり、あてもなく彷徨った。
 徐々に快感の波が引き、全身がひび割れるような渇きを覚える。
 はやく、はやく。
 干からびてしまう。
 ふと、自動車の行き交う音が聞こえた。
 すぐそばを高速道路が通っている。
 むかしはよくパーキングエリアに忍び込み、親に叱られたものだ。
 その道を辿り、闇のなかに停まる幾つもの大型トラックを目にする。
 一台がいままさに発車せんとゆるゆるとタイヤを回しはじめた。
 これだ。
 これしかない。
 何かとんでもない発明をしたかのように、身体は駆けだしている。
 トラックに追いつくと、荷台に縄跳びの縄をひっかけ、急いでじぶんの両の足首に結びつける。
 解けぬように。
 千切れぬように。
 足を掬われ、後頭部をしたたかアスファルトにぶつけるが、痛みを感じる間もなく、ゴリゴリ、ゴゴゴゴゴ、とまるでドラム式洗濯機のごとく勢いの増し方で、引きずられていく。
 トラックは車道にでると、速度をあげた。
 腹筋の要領で後頭部を持ちあげ、できるだけ長く、快感の渦を味わう。背中はすでに背骨が露出しているのだろう、ときおりガガガガンと跳ね、どちゃりと粘着質な吸着の衝撃を全身に走らせる。
 肩はすでに削り取られ、手で顔を庇ってはいるものの、頬が地面に付着するのは時間の問題だ。
 まだだ、まだもっと上にいける。
 高みに、昇っていける。
 あとちょっとで、またとない、これ以上ない快楽に届く気がする。
 全身の細胞の隅々まで、行きわたらせられる気がする。
 だがそう思った矢先に頭部を支えていた腕が道路に置き去りにされ、遠のいた。
 腕が千切れてしまうとあとはもう、道路に引きずられて走る大根のごとく、全身はあっという間に擦りおろされ、最後に見た光景は、後続車両のタイヤに踏み潰されるまさにその瞬間の、月光に照らされ輝くアスファルトの細かな煌めきだった。
 快楽は途切れ、いっさいの無音が訪れる。
 
 ある島国でひそかに流行していたドラッグは、ウィルスの変異のごとく急速に快楽依存度を高め、瞬く間に人口に膾炙した。
 全世界で、突発的な死者が増えたこととそのドラッグ使用者の増加のあいだには相関関係があった。
 ドラッグ使用者はのきなみ、じぶんでじぶんの身体を痛めつけ、死亡していた。
 ドラッグの副作用と言わずして効用の一つであった。
 あらゆる刺激が快楽になる。
 より激しい刺激ほど、つよい快楽に変換される。
 誰もが絶頂のまえの昇りつめる飢餓感に支配され、よりつよい刺激を求めて、全身をみずからの手で拷問する。
 ひとたびドラッグを使用すれば、その衝動には抗いがたい。寸止めを繰り返された挙句ようやく絶頂しそうになったそのときに、自らの意思で愛撫を止めることの可能な者にしか、突発的な自傷行為を回避することは至難と言えた。
 人類が性行為や娯楽を手放せないのと同じ原理である。ドラッグは一年とかからずに全世界の津々浦々にまで浸透し、人類の人口は激減した。
 しかし中には、快楽への並々ならぬ耐性を備えた個がいた。そうした者たちは、そもそもドラッグへ手を伸ばそうとせず、また仮に接種してしまったとしても、快楽への衝動に支配されることはなかった。
 そうした個たちは反面、生殖行為にものきなみ興味を示さず、やはり人口は減少の一途を辿った。
 折衷案として各国は、人工授精による出産システムを実用化させるに至った。
 ある国はそれを商業とし、またある国は社会基盤として組み込んだ。
 人間は男女の性行為によって誕生するものではなく、機械の手により、精子と卵子を掛け合わせ、容器のなかで培養され、胎児となって排出されてなお、機械の手により育児された。
 ドラッグへの耐性を備えた人類がそうしてふたたび地上に繁栄の礎を築く。
 娯楽は淘汰された。
 生存本能すら極めて抑制され、仙人じみた生活が人々のあいだで基本となる行動様式として定着した。
 最低限の衣食住、質素な営みでありながら、人体の能力をいかに効率よく発揮できるかが人々の関心の向かう一点、唯一の指針と言えた。
 間もなく、人間は機械との共存を果たすようになる。
 生身の人間であることへの拘りはとうに失くしている。生存本能が希薄ゆえに、快楽への欲求もまた抑圧され、ドラッグへの誘惑を断ち切れた。裏から言えば、それは人間であることへの執着すら減退していく方向へと淘汰圧が加わっていたと言ってもよい。
 人間の肉体は加速度的に機械と融合し、代替され、機械と人間との境が失われるのにかかった年月は、ドラッグが人類の進化の方向を劇的に歪めるまでにかけた年月とほとんど同じくらいに短かった。
 人類はもはや人類ではなくなった。
 しかしそれでも人間にある性質を失うことはなかった。それどころか機械が人間の代わりに担っていた生殖行為を難なくこなす個体まで生まれ、徐々に生殖行為を行う個体が増加していく。
 間もなく、生殖行為をする個体のみが全体を占めるようになると、あとはなし崩し的に、すべての個体が必ずしも生殖行為に準じる必要はなくなった。
 余った時間をいかに潰すかに思案する個体が増加すると、あとはもう、かつて失われた娯楽が再発見され、枝葉を伸ばし、発展するのにさほどの時間はかからなかった。
 人類は機械と融合したことで、いちどは失った感性、快楽への欲求を期せずして取り戻したが、むろんドラッグへの耐性は失われておらず、いつでも好ましい刺激を、自ずから適切な快楽へと濾過して甘受する術を磨いた。
 底なしの快楽を貪らんとする欲求、原始の人類に備わっていた快楽を追求せんとする性質は、図らずも機械によって再び搭載された。
 手軽に快楽を貪れるドラッグや電子信号は新しく数多開発されていくが、それを摂取したことで自傷行為を働く個体は未だ観測されていない。
 人類はかつての弱点を克服し、いつでも適量の快楽で日々煌びやかな、じぶんだけの世界に身を浸し、相互に結び付くことで開かれる現実、言い換えれば社会というものもまた難なく営んでいる。
 グッドラック、人類。
 快楽はほどほどに。
 ほどほどの快楽を手に。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。
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初公開日: 2021年01月26日
最終更新日: 2021年01月28日
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