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本文12085文字/275行。総執筆数55679(内訳:追加文字数33952/削除文字数21727)。
ショートショート。
【いつもので】
 指定のレストランへと向かうと依頼人はすでに席についていた。貸し切りだろう、ほかに客がいないためにそこにいるのが依頼人であると判断した。
 案の定、給仕人に案内される前に席についても、相手は文句を言わなかった。四十代から五十代の男だ。短く整えられた顎鬚には白髪が目立った。反してオールバックに白髪は交っていなかった。
「ここの料理は美味い。あなたも注文されるといい」
 メニュー表が置いてあり、開いて中身を改める。ここへは仕事の話をしにきたのだ。暢気に会食を楽しむつもりはない。ふん、とメニュー表をテーブルの上にぞんざいに放り、依頼内容を聞こう、とさっそく本題に入る。
「その前に、きみが本当にあのグティなのか。まずはそこを確認しておきたい」
「私は代理人です。管理者とも言いますが、グティは交渉に慣れていないため、そとに待機させています」
「だろうな。あのグティがこのようなお嬢さんだとは誰も思わんだろう」
「つぎに同様の言葉を吐けば侮辱と捉え、あなたを金輪際顧客と見做さないことにします。言葉には気を付けてください。私はグティの管理者であることをお忘れなく」
「きみの一存でグティが動くというのであれば、その本人をここに同席させてみせてくれないか。話はそれからだ。こちらに相応の敬意を求めたければ、きみのほうでも相応の態度を心掛けてもらおう。これはきみが小娘であることが理由ではない。誰であろうとそのように要求する。これはビジネスだ。遊びではないのだよ」
「構いませんが、私の知るかぎりグティの正体を知って長生きした者はおりません。こちらから好んで敵対することはありませんが、本当に構わないのですね」
「構わんよ。いちいちそうした脅しに屈していたらこの世界、やっていけんだろ」
「脅しではなく事実なのですが」
「いいから呼びたまえ」
 この男の情報は前以って調べてある。ここでいがみ合っても得策ではなく、またグティを紹介してもさほどの損とはならない。つまるところ、グティの情報を売買することに価値を見出すほどに懐が冷えている相手ではないのだ。
 相応の働きをする道具には敬意を払う男ではある。それは確かだ。
 メディア端末を取りだし、車のなかに残してきたグティに連絡をとる。寝ているのではないか、と案じたが、起きていたようだ。数秒以内にでた。
「グティか。いま顧客と顔合わせして、どうしてもおまえを紹介してほしいという。出てこられるか。そうだ。いますぐにだ」
 渋られるかと思ったが、二つ返事で、いま行くと、と返事があった。通話を切る。
 端末を仕舞い、顧客に向き直る。
「いまくるそうです」
「楽しみだな。伝説とまで謳われる殺し屋に会えるとは」
「このレストランのセキュリティレベルはだいじょうぶですか。あまりおおっぴらに話をしてほしくはないのですが」
「安心してくれたまえよ。この店はさきほど私が買い取った。心配ならばこの会談が終わった時点で潰してもいい」
「そこまでせずとも」
「食事を楽しもうではないか」
 僅かな空気の乱れを知覚し、誰かが入店してきたのだと察する。足音がしないことから、グティだと判ったが、いかんせん早すぎる。ずいぶん気乗りした登場だ。いつもならば是が非でも顔を出そうとしないはずなのだが、と妙に思っていると、別のテーブル席から椅子を掴み取り、依頼人とこちらの間にグティが割って入った。
「もうお腹ぺこぺこ。すぐ済むって言ってぜんぜん出てこないし」
「十分も経ってないだろ」
 依頼主の顔色を窺う。驚いているというよりもこれは訝しんでいるのだろう。それはそうだ。グティの管理者が女であることに違和感を覚えるくらいだ、よもや一流の暗殺者がこんな子どもだとは夢にも思わないだろう。
「失礼しました。こいつがグティです。礼儀がなっていませんが腕は確かなので、どうかご容赦を」
「本当か」
 本当にこのコなのか、と依頼主の男はやはり素直には呑み込めないようだ。かつてグティを紹介したことのある依頼主たちもみな似たような反応を見せた。みな常識というものに囚われすぎている。
「その手の質疑応答に意味があるとは思えません。すくなくとも私は依頼を引き受ければ、このコに命じて問題の処理を行います。それを以って、グティの仕業ではないと見做されるのならば、まあそういうこともあるのかもしれません」
「いや、仕事をこなしてもらえればそれでいいが、そうか。きみか」
 なぜかそこで依頼主は眉根を寄せた。子どもだから不安なのだろうか、と一瞬思ったが、そういう類の不信感ではないようにも映った。
「お腹が減ったのなら、たんと食べていくといい」私への口調よりいくぶんやわらかい語調で依頼主は、卓上に置かれた鈴を鳴らした。「好きなだけ食べていきなさい」
 メニュー表を手渡すと、グティはそれを眺めるが、すぐに閉じた。そもそもそこに書かれている文字をグティは読めない。読めたとしても、そこからどんな料理が運ばれてくるのかを想像することはできないだろう。
「ご注文をお伺いいたします」
 やってきた給仕人へグティは、
「いつもので」
 と応じた。
 依頼主がぽかんとし、こちらもついつい、ん?と固まる。
「いつものとは、その」
 給仕人がぎこちなく笑みを浮かべるので、すかさず、すみません、とグティの代わりに謝った。それからグティの頭を押さえ、
「おまえこの店初めてだろう」と叱る。
 へらへらと笑うだけで、グティには懲りた様子がない。冗句ではないはずだ。本気で口にしたのだろう。映画やドラマの虚構の映像の見よう見まねだ。
「びっくりしたな」依頼主が背もたれに体重を預けた。「この店の常連かと思ったよ」
「世間知らずなんですよ。グティ、肉と野菜どっちがいい」
「どっちも食べたい」
「だそうなので」給仕人にメニュー表を渡し、「適当なのを見繕って運んできてもらっていいですか」
 かしこまりました、と給仕人は一礼して去っていく。
 料理が運ばれてきてから、早速仕事の話を再開する。テーブルの上にはずらりと料理が並び、グティが手当たり次第に手を伸ばしては、口の運んでいる。スプーンを使っているだけまだよいほうだが、これが家だと指で突いて味見をするので、こうした機会に見舞われるたびに躾の重要性を身に染みて痛感する。端的に恥ずかしいのだが、殺しを請け負う人間が人並みの常識を説くほうが不自然なのかもしれない。
 依頼主からひとしきり話を聞く。グティは食事に夢中だ。
「つまり、要人の始末ということでよろしいんですね」
「そうだ。ただし、そいつは自前のビルから外に一歩も出ん。仕留めるにはビル内部の警備隊と真正面からやり合うつもりでなければ無理だろう。こそこそと陰に回っての暗殺は不可能と思ってほしい」
「問題ありません。確認しますが、ビル内部の人員をすべて排除しても構わないわけですね」
「報酬は変わるのかね。手をかけた人間が多ければそれだけ支払いが増えるのか、という意味だが」
「いいえ。依頼内容を遂行する過程で発生した作業はこちらの負担となります。これはどの依頼主に対しても述べている宣伝文句と思ってほしいのですが、大統領を葬るのも、ホームレスを葬るのも、我々にとっては同じ仕事にすぎません。一人殺すのにいちいち値段を変えるようでは詐欺と同じです」
「プロだな」
「そうおっしゃっていただけるとたいへんに光栄に思います」
「これ美味しい」グティがスプーンで肉を掬って、こちらの口のまえに運ぶ。話の腰を折るな、とねめつけて見せるが、グティは意に介さない。美味しいのに、としょぼくれるものだから、管理者としての面目はおろか、一流の暗殺者としての威厳は地に落ちた。元からグティにそういった本物っぽさを求めてはいないが、無駄に依頼人を不安にさせることもない。
「どれ、私がもらおうかね」依頼人が身を乗りだすが、一足先にグティは肉をじぶんの口に放りこんだ。これみよがしに見せつけるようにして咀嚼する。
「おい」叱りつけるが、よいのだよ、と依頼主が鷹揚に制する。「なかなか元気な少年ではないか。これならたしかに怪しまれずに標的に近づける。子どもは呑み込みが早い。さぞかし立派な教育を受けたのだろうな」
 皮肉にしか聞こえなかったが、そう言ってもらえると助かります、と卑下しておく。ちなみにグティは少女なのだが、これも黙っておく。
 依頼人は一枚のメディア端末を取りだした。
「標的についての資料だ。これに入っている。以降、私との連絡もこれでつけてほしい。仕事が完了したあとの処分も任せたいが、頼めるかね」
「ええ。通信監理会社からもデータを消しておきます」
「そこまでしてくれるのか。サービスがいいな」
「そこまでしなければこの仕事をつづけることはできませんので」
 何せ監視カメラの映像ごと処理しなければならないのだ。通信会社への根回しこそ、この仕事の神髄と言える。
「資料を見ても?」
「いまここでかね。構わんが」
「では失礼して」
 任意の情報を探した。載っているかどうかを確認するだけなのでそれほど時間はかからない。目を通し終わると、グティが早くも椅子を前後に振って、早く帰りたい、の所作を見せはじめたので、鈴を鳴らして給仕人を呼び、デザートをお願いした。これもグティにはメニュー表を見せても致し方ないので、パフェかなんかを、と言って適当に見繕うように指示する。
 かしこまりました、と言って去った給仕人が三人分のパフェを運んでくる。グティだけに注文したつもりだったが、人数を言うのを忘れていた。或いはサービスなのかもしれない。
「グティ、これも食べてくれないか」
「やった」
「私のもどうだね」依頼人がパフェを押しやるが、グティはそれをじっと見てから、ぷい、と目を逸らす。両手でじぶんの分のパフェを抱えるようにしている。そこにはむろん私のやったパフェも含まれる。
「人見知りですみません」
「本当にただの子どもに見えるな。いまでも信じられんよ、このコがグティなどと」
「資料を拝見しました。一つお訊ねしたいのですが、あなたはここ半年で世界中から名だたる暗殺者を雇っていますね。そのことごとくが、あなたの仕事を受けてから消息を絶っています。それらの件と今回の一件、何か関係があるのでしょうか」
 資料には載っていなかった。もし関係あるのならば、それを依頼主は隠そうとしていることになる。知られたくない情報なのだろう、と睨んだわけなのだが、依頼主に動揺した素振りは見受けられなかった。
「よくご存じだ。依頼の連絡を受けてから、この短時間でもうそこまで調べられたということですかな。なかなかできることではない」
「その暗殺者たちはどうなったんですか」
「いま私がきみにしているような仕事を頼んだが、誰一人として戻ってはこんかった。かといって報復されるといった様子もない。おそらくは拷問されることなくその場で始末されてしまったのだろう。失敗すればするほどに警備は厳重になる。だが標的があのビルを移った様子はない。ということは、それほど警備に信頼を置いていることの裏返しでもある。最強の盾だ。ならばそこには最強の矛をぶつけるべきだろう、違うかね」
「そうした情報は前以って教えて欲しいものですが」
「サイを狩るのにサイのツノがなぜあのような形状をし、なぜサイの皮が分厚いのかを論じることにさほどの価値を認めておらんのんでな。肝要なのは、狩るべきサイのいまここにある生態であろう。違うかね」
「その通りですね。しかしこの資料からでは、相手側が暗殺者の侵入を想定した警備をしているとまでは読み取れません」
「関係なかろう。サイがライオンを警戒していようが、していなかろうが、ライオン側のすべきことは変わらん。それとも私の見立てが甘かっただろうか。きみたちは一流だろ。その道のプロだ」
「信頼を置いていただけるのはうれしいのですが、プロだからこそ、些細な情報も見逃さずにいたいのです。以後、関係のありそうな情報はすべて教えていただけるとうれしく思います」
「つぎがあればそうしよう」
「確認しますが、今回のご依頼は、標的の抹殺でお間違いありませんね」
「ああ、それで頼む」
「三日以内にご連絡致します」
「ではそれまでこの店は潰さずにおこう。グティくんもお気に召してくれたようだしな」
 グティ、と声をかけ、行くよ、と立たせる。
「では、失礼いたします」
「幸運を祈る」
 腰を折るが、グティは歯に挟まった食べかすを指先でほじくっている。頭を押さえつけて、無理やりに下げさせるが、んんっ、とむずがられ、逃げられた。
 依頼主の笑い声が店のなかに反響し、恥辱の念が湧く。
 車に乗りこみ、グティにシートベルトをするように指示する。何度言っても憶えないが、これは縛られることを潔しとしないグティの資質によるものなので、どちらかと言えば一度指示するだけで、しぶしぶであろうともシートベルトを締めてくれるようになった現在の態度を成長と言い表してもいいくらいだ。
「いまから背の高いビルに向かう。つぎの信号を曲がればたぶん見える。そのビルのなかに、コイツがいるから」資料用に預かった端末を操作し、画面に標的の画像を映しだす。「上層階のどこかにいるらしいが、詳しいことは分からない。中に入って知っていそうなやつを捕まえて、なんとか居場所を割りだし、いつものように始末する。どうだ、できるか」
「いまから?」
「無理ならあすでもいいが、ちょうど通りかかりだし、済ませちゃったほうがよくないか」
「そうかも」
「中に敵がうようよいるらしいが、片っ端からやっつけていいらしい。きょうは本気をだしてもいいぞ。遠慮せずにやれ」
「いいの?」
「ダメな理由がない。ただし、指折りの同業者がこぞって失敗している山だ。それなりに用心だけはしてくれ」
「わかった」
「武器は?」
「これがあればいい」グティはベルトの飾り部分からナイフを引きだす。親指ほどの大きさしかないそれを彼女は人差し指に装着した。
「いつも思うんだが、銃だって使えないわけじゃないんだろ。どうして持っていかないんだ」
「だって必要になるくらいのときは相手が持ってるし、それを奪えばよくない? どの道大勢を相手にするときって、盾を作らなきゃだから、手が自由になるこれくらいの武器のほうが楽なんだよね」
「そういうものか」
「だいたい、人殺すだけなら指一本あれば充分じゃん」
 バケモノめ、と鼻で笑う。「それを言えるのはこの世でおまえくらいだよグティ」
「そうなの? よくわかんない。なんでみんなこれくらいのことできないんだろねっていつも思う」
「できないんだよ。おまえがお行儀よく食事ができないのと同じようにな」
「行儀よくなかった?」
 意外そうに反問され、口ごもる。グティにしてみればなかなかにおとなしくしていたと評せないわけではないが、かといって一般常識に照らし合わせればけして行儀がよいとは言えない。
「いつもよりはお利口さんだったかもな」
「お利口さんだって。バカにされた気分」
「褒めたんだ」
「ふうん」
 グティは車窓の外を見遣ったらしく、あれ、と指さす。建物の頭上にうず高く延びるひときわ高いビルがある。
「そう、あれ。少し離れたところで止めるから。どれくらいで終わりそう?」
「ついてこないの」
「いま無断駐車にうるさいからさ。その辺走って、時間になったら同じ場所に止める。それまでに戻ってきて」
「いいけど、じゃあうーん、三十分くらい」
「そんな早く終わる?」
「標的のひとバイバイしてお終いでいいんでしょ。中にいる人全員じゃなくて」
「まあそうだけど」
「だったらそれくらいでだいじょうぶ。ぱぁっと行ってぱぁって終わらせる」
「どこにいるのか分からないんだよ、本当にだいじょうぶ?」
「だって中の人たちはみんなそのひとを守るためにいるんでしょ。だったら守るために動くわけでしょ。じゃあ問題ないじゃん。いちばん安全そうな場所、攻撃しにくそうな場所に行けばいい。簡単、簡単」
 それもそうか、と考えを改める。ふつうはそれが解かっても手も足も出ないが、グティは違う。獲物の逃げこむ場所が限定されるのならばそれを逆手にとるのは造作もないのだ。却って、そうしたじぶんたちの立場の優位性を自覚している相手のほうがやりやすい。
 大統領とホームレスのどちらを標的にしても報酬が変わらないのは、何もパフォーマンスではない。真実、グティにかかれば、費やす労力は変わらない。標的の居場所が解かればそれで済む。そこまでの路銀が多少かかるくらいの差異しかない。ときには要人相手のほうがやりやすいことがあるくらいだ。今回がその典型と言えるかもしれない。
 建物のなかに玄人としかいないのであれば、グティは能力を抑える必要がない。極論、獣の巣に投げ込まれるほうが楽なのだ。村のなかの狼を狩るよりもずっと頭を使わなくていい。
 対象ビルの手前の手前で道を曲がる。信号機二つ分の距離だ。路地裏に車を停める。「じゃあ三十分な」
「もしいなかったらどうする?」
「標的がか」
「うん。逃げてるかもしれない」
「資料によればその様子はないとあったがな。ま、いなけりゃしょうがない。そのまま戻ってくるしかないだろ」
「追手がかかったら排除していいの」
「それは構わんが」
「なんとなくだけど、壊滅させちゃったほうがいい気がする」
「ビル内部の連中を皆殺しにするって意味か」
「うん。だめ?」
「ダメじゃないが、そんな時間ないだろ」
「向こうから襲ってきたら時間短縮になるよ」
「襲ってきたらじゃあそうしてやれ」
 あまり長く停車はしていられない。監視映像に残り、悪目立ちする。あとでデータを消すとはいえ、消えた分は空白になって残る。「そろそろ行け。三十分後にここで。追手がかかったら別方向に逃げろ。振り切ったら例の店に集合。いいな」
「例の店って?」
「さっきの店。レストラン」
「ああ」
「気をつけてな」ドアを開けてやる。グティは、おいしょ、と言ってどんくさい所作で車を降りた。こちらを一顧だにせず、遠ざかっていく。ビルにはどうやって入るのかは分からないが、いつも通りならば正面突破か、壁をよじ登って、トイレかどこかの窓から侵入するはずだ。
 メディア端末を操作し、二十九分後にタイマーが鳴るように設定する。一分前にここにいればそれで済む。グティを拾ったら、その足で、例のレストランへと向かう。依頼主はまだいるだろうか。いなくとも連絡をすれば、戻ってこられる範囲にいるはずだ。
 車を走らせ、夜の街並みを疾走する。
 こうしている間にも、いまこの瞬間に命を落としている者がいる。グティに首を裂かれ、死んでいる者がいるのだ。そうするように指示したのはじぶんであるのに、なんだか可哀そうに思えてならない。死神と遭遇しさえしなければ死ぬことはなかったのだ。きょうの朝、職場へと出る際にはまさかきょう死ぬとは思いもしていなかったに相違ない。きょうの夜に最愛のひとと何か約束をしていた者もいただろう。子どもの誕生日を祝うつもりの者もいたかもしれない。好きなドラマや、映画のつづきを楽しみにしている者だっているはずだ。
 それらはみなきょう、グティの手によって殺される。
 仕事上のなりゆきで標的を庇護すべし、との命令がだされ、それに従っていた者たちだ。悪か正義かで言えば正義の側に属する者たちだろう。
 なぜじぶんはそのような者たちの命をこうも容易く奪う真似ができるのだろう。じぶんの手を直接汚していないからだろうか。グティという凶器を手にしている、ただそれしきの優位性があるだけだ。もしグティがほかの者の命に従うならば、あすにもこの命はないだろう。
 何か目的があるわけではない。偶然にグティを拾い、手懐けることができた。ただそれしきの経緯があっただけだ。大義をなしたいわけでもなく、文明を転覆させる意思もない。
 革新も革命にだって興味はない。蛇蝎視していると言ってもいいくらいだ。犯罪者とは極力仲良くなりたくないし、グティに人殺しを依頼するような腐った輩ともお近づきになりたいとは思わない。
 過去に不幸があったわけではなく、本当にただの成り行きなのだ。
 金になる。糊口を凌げる。
 最も効率よくいまの生活を維持しつづけられるというただそれしきの理由できょうもグティを使って、この世からすくなくない命を葬り去る。
 罪悪感がまったくないと言えば嘘になるが、かといってふだんの行いを慎むほどのものではない。今着ている服飾や下着が、靴が、海外の工場で不当に安い賃金で働く労働者たちからの搾取のうえに成り立つ豊かさだと知っていても、手放すことはおろか、どうにかしようと行動に移さないことと理屈のうえでは同じだ。
 腹の足しにもならぬことをつらつら夢想しているあいだに、アラームが鳴った。
 回収地点へとハンドルをきる。
 信号を曲がる前からすでにグティの姿を捕捉する。返り血一つ浴びていないので、最初のころはよく、仕事に失敗したのかとハラハラしたものだ。いまでは追手がいないかに注意を割けるくらいにグティの働きもとより腕のよさを認めている。
 停車すると、グティが乗りこむ。
「どうだった」発車する。追手はいないようだ。
「思ってたよりかは手こずったかも。だってみんなプロっぽかった」
「プロ?」
「同業者だと思う。前に見せてもらった資料に写真載ってた人とかいたし」
「暗殺者ってことか」
「じゃないの。よく知らないもんそういうの」
 しばし思案し、それからスーパーの駐車場に入り、停車する。メディア端末の画面にいくつか写真を映し、ビルのなかで遭遇した連中のなかに該当者がいるかを訊ねる。グティはそのほとんどの写真に頷いてみせた。
「殺しちゃったよ。だめだった?」
「いや。ただ、よく生きて戻れたなと思ってな」
「あ、そう言えば標的のひと。もう死んでたんだけど、そのままにして戻ってきちゃったけどいいよね」
「死んでた?」
「うん」
「ああ、そういうこと」
「どういうこと?」
「いや、いい。こっちの話だ。そう言えば、小腹は減らないか。仕事のあとで疲れたろ」
「さっき食べたばっかじゃん。胃もたれして動きにくかったし」
「あんなにいっぱい食べるからだ」
「きょう仕事するって聞いてなかったもん」
「それはわるうござんした」
「反省してないときの言い方」グティは臍を曲げるどころか陽気に鼻歌を奏でる。「レストランに寄るの?」
「いま連絡してるとこだ。ちょっと待ってな」
 文章での連絡だ。送信すると間もなくして返信がある。
「まだいるってさ。買い取っただけあって、できるだけ満喫しておこうって魂胆なんだろ。ああいうやからは根が守銭奴だ」
「ふうん」
「その相槌はあれか。私も同類って言いたげだな」
「そんなこと思いもつかなかったよ」
「棒読みのフォローありがとさん」
 レストランに入ると、さきほどと同じ席に依頼主が納まっていた。
「忘れ物ではなさそうだが、用件を聞こうか」
「依頼は遂行しました」席につき、給仕人に水だけを注文する。「標的はどうやらすでに亡くなっていたようで。ビル内部で街構ていた手練れも総じて始末しました。この報告を以ってあなたとの契約は完了とさせていただきたいのですが」
「まさか。まだ一時間も経っておらんだろう」
「ええ。排除そのものには三十分もかかりませんでした。グティの腕を甘く見てませんか」
 それよりも、と脚を組む。気持ちのうえではテーブルのうえに投げ出したいくらいだ。
「確認したところ、どうやらビル内部にて待ち伏せしていた警備隊のなかにはあなたが先日この街に召喚したプロが複数交っていたようです。お心当たりはおありですか」
「なるほど、なるほど」男は椅子の背もたれにふんぞり返り、破顔する。歯を見せないように笑う姿は上品だが、いままさらにその脳内では目まぐるしく思考が巡っていることだろう。目のまえに突きつけられた刃先をどうやって回避すべきかを模索しているのだ。
「きみはどう見ているのかね。つまり、これからどのように対処をするつもりか、という意味だが」
「依頼は遂行し、いまを以ってあなたは我々の顧客ではない。したがって仮になんらかの形で我々へ危害を加えたといった事実がでてくれば、それ相応の対処を講じさせていただくことになるものかと」
「つまり私に牙を剥くとそういうことかね」
「そう捉えられても我々としては困りませんね」
「うむ。ではこうしよう。情報を提供する。なぜきみにこのような不躾な依頼をしたのかについて、私の知るすべての情報を開示しよう」
「結構です。あなたの意思にかかわらず、情報はすべて我々が拝見させていただく。これは決定事項だ。覆ることはない」
「何を差しだせばこの状況を変えられるだろうか」
「ないな。おまえはミスを犯した。我々をハメるという根本的かつ致命的なミスだ。終わっているんだよあんた。私がいまこうしてここに座っている時点でな」
 男は笑みを維持したまま卓上の鈴を手にし、激しく鳴らした。しかし誰も姿を見せない。給仕人すら未だに水を持ってこない始末だ。
「可哀そうなことをした。この店の従業員に罪はないのだが、ただまあ運がわるかったと思って諦めてもらうしかない。あんたのような薄ぎたない男と関わってしまったんだ。心の底から同情するよ可哀そうに」
「私は助からんのか」
 席を立ち、男を見下ろす。それからいつの間に男の背後に佇んでいる少女へ向けて、頷いて見せる。
 男の首が音もなく傾き、どちゃり、と床に落ちた。頭蓋は弾まない。濡れ雑巾やスイカをいつも連想する。
「グティ。従業員はどうした」
「逃がしたよ。きょうはもう疲れたから」
 ダメだった、と訊かれたが、呵責の念を覚えさせるにはここでよくやったと言うのは得策ではない。優位に立てる材料があるならば容赦なく使う。
「ダメなやつだな。ま、しょうがない。きょうのところはお咎めなしにしといてやる」
「やった」
「ちなみにコイツの部下もいただろう、そいつらは?」
「殺したに決まってんじゃん」
 クルクルと大型のナイフを宙に放るとグティは、それが落下しきる前に足の裏で蹴り飛ばし、壁に突き刺した。
 奪ったナイフだろう。
 自前の武器であるところの小型のナイフは指にはまったままだ。彼女はそれを外すと、首なき遺体のスーツで拭って、ベルトの飾りに収納する。
「きょうはもう終わり?」
「ああ」
「けっきょく何だったの。このひと依頼主でしょ。よかったの、殺しちゃって」
「ダメって言ったらどうする」
「ごめんなさいって謝る」
「謝んなくていいよ。きょうはね」
 店を出て、車まで歩く。乗り込み、颯爽と現場をあとにする。パトカーの群れとすれ違ったが、いずれもサイレンを鳴らしてはいなかった。大方、従業員が通報したのだろう。データを消さずに来てしまったが、いまからでもまだ間に合うだろうか。
 馴染みの設計屋に連絡をとり、記録の改ざんを依頼する。位置座標を送るだけで済む。上客の特権というやつだ。
「これからしばらく忙しくなるかもしれないな」罠にはめられたのは自明である。世界中の暗殺者をこちらにけしかけた相手がいる。それは先刻首を落とした男ではない。その裏にもっと狡猾な相手が眼光炯々とこちらを狙っているはずだ。
 そもそもの標的がすでに殺されていたことからも、念入りな計画であったことが窺える。標的殺害の罪を被せられる予定だったのだ。
 おそらく元々の標的と利害関係が一致していた者の仕業だ。仲間を裏切り、同時に世界屈指の暗殺者を葬る。名実共に裏社会を牛耳ろうとしている者がいる。或いは、単に風通しをよくしようとしただけかもしれない。
 グティという道具を使える者のみが邪魔者をより効率よく始末できる仕組みを変えようと、大胆にも動いた者がいてもおかしくはない。
 構図からすれば我々のほうが悪であり、排除されて然るべき害である。
 だが黙って、退場するわけにはいかない。
 正義ならば正義らしく、つよくあってほしい。我ら程度の隘路くらい造作もなく排除してもらいたいものである。
「グティ。調子はどうだ。きょうの仕事は、難易度でいうとどのくらいになる」
「お腹いっぱいになったから百点でいいよ。デザートも美味しかったし」
 あまりの余裕綽々な返答に噴きだしてしまったが、この様子ならば、当面のあいだは現世のしがらみを楽しめそうだ。
「きょうはもう寝ていいぞ。布団までは抱っこして運んでやる」 
「赤ちゃん扱い」
 不満そうに言う割に、おとなしく目をつむって、間もなく寝息をたてはじめる。根が子どもなのだ。無邪気であり、無垢だ。ゆえにこうまでも冷酷でいられる。罪悪感とは無縁なのがうらやましい限りだ。
 グティを世界屈指の凶器そのものにしてしまった組織はすでにこの世にない。壊滅に手を貸してやったことを恩に感じてなのか、それともすなおに慕ってくれているのかは分からないが、彼女はこうしてこちらの犬に納まってくれている。
 飼い主の所感としては、犬よりもどちらかと言えば猫なのだが、いまのところ手を噛まれる心配はしていない。
 ただ、この生活も長くは持たないだろう。
 名を売りすぎた。
 目立ちすぎている。
 なればこそ、ここいらでいちど清算してしまうのもわるくない。
 かわいらしい寝息が車内にさざなみのごとく寄せては返す。平和とは何かを教えてくれる。
 ハンドルを握る手にちからがこもる。
 これほど優れた道具を手放すつもりはない。道具をそばに置き、駆使する万能感は病みつきになる。
 いちどきれいにするのもよさそうだ。
 グティの名を耳にし、その存在の脅威を知る者を、いちど根こそぎ抹消する。そうすればまた、同じ日々を過ごしていける。
 できるだけ長く、闇のなかを歩んでいたい。
 誰に認められることなく、咎められることもなく、ただその日そのときの依頼をこなし、余暇を楽しむのだ。
 人生の余暇を。
 数多の同業者の屍のうえに築かれる安寧の日々を。
 グティなる道具を使って、手軽に、刺激だけを甘受する。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。
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初公開日: 2021年01月24日
最終更新日: 2021年01月24日
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