執筆記録:
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本文4729文字/117行。総執筆数11622(内訳:追加文字数8390/削除文字数3232)。
ショートショート。
【偽りの祈り】
 鬼牙(キキバ)は人殺しだ。人から命を奪うことで日々、糊口を凌いでいる。
 金品や食料を得るために人を襲うこともあれば、依頼を受けて、見ず知らずの相手を殺すこともある。
 暗殺者ではない。
 誰の手による殺害かは遺体を見れば一目して分かる。依頼の場合は十割、見せしめのために殺す。報復されぬためにも、鬼牙なる死を司る脅威を手中に納めていると周囲の者に誇示し、遺体は獣に食い荒らされたかのような無残な様で転がしておく。
 遺体を一晩で骨の数ほどに千切れる者は鬼牙以外では滅多にいない。
 人を殺すことに慣れているからこそできる芸当である。おいそれと真似はできない。
 この日、鬼牙の元に一つの依頼が舞いこんだ。
 なんでも屋敷に住まう主を殺して欲しいという。珍しく鳥が文を運んできた。
 指定の場所に前金を隠しておいたと書いてあったので、その場へと赴くと確かに、尋常ではない金額が置かれていた。詐欺ではないようだ。
 仕事を十全にこなせば残りの金を払うという。
 申し分ない内容だ。
 一人殺すだけでふだん請け負っている仕事の十倍の金が手に入る。
 ただし、それだけ困難な仕事でもあるようだ。
 屋敷の主人は厳重に警備された建物の奥深くに閉じこもっているようだ。敵が多く、そうでもしないといつ暗殺されるか分からない。そういう身分の者だという。鬼牙に依頼が舞いこむのは時間の問題だったに相違ない。
 依頼主が誰かは定かではなく、手紙にもその手の情報は何も書かれていなかった。
 金をもらえれば不満はない。どの道、依頼主の情報を知ったところで、困ったときに強請に行くくらいしか用途がない。だが当分困る予定はないのだ。依頼はあとからあとから湧いてくる。
 今晩にでも済ませてしまおう。
 鬼牙は日が暮れるのを待って、屋敷に忍びこんだ。
「何やつ」
「もう見つかっちまったか」
 屋敷の警備が厳重なのは文にあった通りだ。予想外だったのは、猛者どもが行く手を阻んだことだ。
 これでは端から、刺客が放たれたと屋敷の主人が知っていたみたいではないか。
 単なる使用人ではない。武芸者たちがこぞって鬼牙に襲いかかった。
 一人倒しては、また一人。
 敵は倍々の勢いで増えていく。
 間もなく、中庭にて囲まれた。
「誰に頼まれた。並みの腕前ではないと心得る。仕えている者の名を明かせば、御屋形様に恩赦を訴えてもよいぞ」
 鬼牙はその言葉を聞き流した。何が恩赦だ。真実かように訴えでるだけで、あとの結末は変わらぬだろう。
 殺すか殺されるか。
 あるのはただそれしきである。
 鬼牙は周りを見渡し、ひぃふぅみぃ、と猛者どもの数を数える。全部で五十四ほどの武芸者がおのおの武器を携え、鬼牙を取り囲んでいた。
「揃いもそろって臆病なことだ。賊一人相手に大した騒ぎだよ」
 祭りでもあんのかよ。
 嘯き、鬼牙は拳を頭上に掲げる。
 するとどうだ、中庭に、キラリと光る筋が、幾重も浮かんだ。月明かりに照らされ、それら筋は、無数の糸となって、猛者どもの合間、合間に張り巡る。
 糸は総じて鬼牙の拳へと吸いこまれていた。
 鬼牙は、籤を掴むように握った無数の糸を、もう一方の手で以って、真下へと引き下ろす。拳はそのままだ。拳を支点に、井戸から水を汲みあげるようにして、糸を引く。
 無数の糸がピンと張る。
 中庭に巨大な蜘蛛の巣が姿を現す。
 この時点で、糸を跨いでいた者たちは脚を切断され、地面に転げた。
 悲鳴はまだ上がらない。誰もが何が起きているのか、痛みすら、知覚できていないのだ。
 鬼牙はその場で、拳を掲げたまま、ぐるぐると回転してみせる。
 みちみち、と暗がりのなかに音が響く。
 逃げ回るあいだに結び付けておいた柱や灯篭や木々から、糸の先端がすっぽ抜ける。あたかも豆腐に糸を巻き付けたがごとく様相である。その感触が、鬼牙の手には伝わった。
 無数の糸は地面に垂れ、あとはただスルスルと手繰り寄せ、回収するのみである。
「け。他愛もねぇ」
 中庭には鬼牙以外の人影はなかった。立っている者はおろか、文字通り、人の形を成したものはただの一人もいなかった。
 配備された猛者はほかにもいるだろう。
 残っているはずだが、しょせんは雇われの身である。もはや誰も鬼牙のまえに立ちふさがる者はなかった。
 或いは、中庭での残虐を目にし、ようやく今宵この場にはせ参じた賊が鬼牙であると知れ渡ったのかもしれぬ。
 とすれば、屋敷の主人は援軍要請の使者をよそへと放っているだろう。長居をするのは得策ではない。いかな鬼牙と言えど、万全の態勢を敷いた一軍相手には、容易には立ち回れない。
 手早く仕事を済ませ、お暇しよう。
 屋敷の奥へと歩を進める。
 やがて大広間と言えばよいのだろうか、だだっぴろい畳の部屋へと抜けた。天井が高く、色鮮やかな絵が描かれている。襖も豪勢であり、部屋の中だというのに、梅の木や、竹が生えていた。
「ようこそおいでくださいました」
 大黒柱だろうか、ひと際太い柱のまえ、部屋の真ん中に、子どもが一人鎮座していた。座布団にちょこんとおわしている。声をかけられるまで鬼牙はそれを人形か何かだと見做していた。
 存在感がなかった。
 生きている者から感じられる息遣いが、感じられなかったのだ。
「私を殺しに参られたのでしょう。どうぞ。人払いは済ませてあります。半刻もすれば追手がかかるでしょう。いまのうちに、早く」
 鬼牙は耳の裏を掻く。
「ひょっとしてあれか。おめぇが依頼人か」部屋には見覚えのある鳥が飛んでいた。羽ばたき、梅の木の枝に止まる。文を届けに飛んできた例の鳥である。
「はい。故あって、私はここに長らく閉じ込められています。そのお陰で助かる方がいらっしゃるのですから、それに不満があるわけではありません。ただ、私が生きている限り、その方は私同様に、自由に生きる道を手放さねばなりません。こんな思いをするのは私一人で結構」
「互いが互いに人質ってことか」
「そう捉えてもらっても構いません。私が自死すれば、似たような者をほかに用意して、その方の境遇は何も変わらないでしょう。しかし、私が暗殺されたとなれば、いったい誰が私を殺したのか、という話になる。いまのところ私が死んで得をするのは、私たちにこうした不自由を課している者です。じっさいにはその者が得をすることはないのですが、なにせすでに私の財はその者のものなのです。しかし表向きは、私はその者の財を自由に使える身分にあります。私が不当に死ねば、この座はその者の手に渡ります。飽くまで表向きはそういうことになっている、ということでしかありませんが。本当はただ、その者に自由を奪われ、傀儡にされているにすぎないのですが、その真相を知る者はおりません。また、そうした事実を当の本人が弁明で明かすこともないでしょう」
「つまり、あんたをハメた相手に一矢報いたいと、これはそういう仕掛けかい」
「正直、私たちにこうした不自由を課している相手のことはどうでもよいのです。ただ、もう一人の私には、同じ道を歩ませたくはない。そのためにも」
「あんたが無残に殺されなきゃいけねぇってこったな。はいはい、分かりましたよっと」
 鬼牙は袖で刃物を拭う。先刻、中庭から拾っておいた道具だ。武芸者たちのうちの誰かの持ち物だろう。質のよい道具ばかりが揃っていた。武器よりもまずは腕を磨きなと、助言の一つでもかけて回りたい気分だったが、こうしてじぶんのためにわざわざ高価な武器を一か所に集めてくれたと思えば、そうした真心も消沈する。
「仕事は仕事だ。依頼人を殺すことになろうと、それが依頼ならこなすだけだが、その前に一つ確認しておきてぇ。あんた、自由になりたくはねぇのか」
「私ですか? そうですね。それはなれるものならばなりたいというのが本音ですが、もうそうした夢は諦めました」
「なんでだい」
「無理なんですよ。私がいくら抗ったところで、あのひとを止めることはできない。それこそ、あのひとの振りかざす権威そのものが、あのひとに牙を剥かないかぎりは」
 一族とはそういうものなのです。
 子どもは達観したような言葉をつむぐ。
「そうかい。じゃあたとえば俺がそいつらまとめて始末してやるっつっても、あんた、断るってことだ」
「そんなことができるとは思いませんので」
「できるできねぇじゃねぇ、あんたが本当はどうしたいのかを訊いてんだ。どうなんだ」
「私は、本当なら誰の悲しむ顔も見たくない。しかし私はすでに手を汚してしまいました。私を守ってくれる方々を、私の一存でかってに招いた死神の餌食に差しだしてしまったのです。いまさら本懐を述べても意味がないでしょう」
「じぶんだけ幸せにはなれないと? は。だったらあんたがいま抱いてる一番の望みだって叶えちゃあかんだろうが。俺がおまえを殺して一件落着? は。くだらねぇなぁ」
「ではどうしろと。依頼はこなしてくださらないのですか。それでも構いません。あなたがここに辿り着いたという事実さえあれば、あとは私がじぶんで死ねば済むことです」
「ああ、そうかい。かってにしな」
 踵を返すが、鬼牙はふと思い留まり、一つだけ誤解を解いとこうか、と背中越しに声を張る。「俺ぁ、頼まれりゃあ、人を殺すが、暗殺者を名乗ったことはいちどもねぇ。べつにほかのことでも構わねぇんだ。たとえばこっから生きてそとにでたいでも、ほかの場所にいる籠の鳥を取り戻してぇでも、なんでもよ。ただ、なんでか誰もそうした依頼をしてこねぇ。ま、ちょいと依頼が反故になっちまったもんで、いまこうして愚痴を吐いちまったが、まあ、これくらいはいいだろ。前金だけはもらっとくぞ。あとは好きにしな」
 じゃあな。
 部屋の敷居を跨いだところで、
「約束できますか」
 震えるような声が届いた。「私たちの身の安全を守りながら、自由を取り戻す手伝いをしてくれると、約束できるのですか、あなたに」
 あなたのような人殺しに。
 挑発するのでもなく、皮肉を言うのでもなく、その声からは純粋な疑問の響きが聞き取れた。
「依頼はこなす。それ以外にすることがねぇんだよ、俺の人生にゃあよ」
「報酬は」
「そうだな。いまおまえになく、これから手にするだろう財の半分ってのはどうだ。要するに、おまえが葬り去りてぇ相手の財をそっくりそのまま俺がもらい受ける。むろんそこにゃあ人の命も含まれる。構わねぇな」
「構いません。ただし、私が名指しした相手は、殺さぬこと。自由の身にすること」
「それ以外は俺の好きにする。いいな」
 子どもは神妙に頷いた。
「重畳。依頼を引き受ける」鬼牙は一瞬で子どもとの間合いを詰めた。相手が目を瞠る前に、肩に担ぐ。「ひとまずこっから出るとしやすかね」
 屋敷の入り口のほうから、足音が近づいてくる。一つではない。大群が雪崩れこんできていると判る。
 子どもの尻を叩く。
 ひゃん、と色っぽい声を漏らす依頼主に、名は、と訊ねる。
 だんまりを決めこむのは、名乗りたくないからなのか、それとも尻を叩いたことを怒っているのか。
「俺のこたぁ、キキバと呼べ。呼び捨てでいい。きょうから俺はあんたの道具だ。しゃべる刀とでも思って、使ってくれ」
「では命ずるぞキキバ」子どもは肩に担がれたままの態勢で、二度と私の身体を叩くな、と言った。「それからついでに、いま屋敷に入ってきた者たちを無傷で撃退し、ここから無事に逃げ仰せてみせろ。できるか」
「朝飯前でさ」
 がうがう。
 骨をまえにした犬の真似をし、鬼牙は、来た道を疾走する。本当は、迎え撃つことなく、屋敷から逃げだすことなど造作もなかったが、依頼主の命令は絶対だ。
 無駄に遊んでいくのも一興だ。
 明朝。
 屋敷から主が攫われたと、町人の誰もが知るところとなった。
 賊と目されるは、天下に名高い人殺し、鬼牙である。かの者には多額の懸賞金がかけられたが、討伐にでようという気骨のある者はすくなく、懸賞金の出処である由緒ある家柄の一族は早晩、没落したそうである。
 鬼牙がその後どうなったのかを知る者はない。
 屋敷の主人もついぞ発見されなかったが、そのことを気にする者もまた誰もいない。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。
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偽りの祈り
初公開日: 2021年01月19日
最終更新日: 2021年01月20日
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