執筆記録:
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本文4090文字/126行。総執筆数15892(内訳:追加文字数10030/削除文字数5862)。
ショートショート。
【じぃちゃん、箱はもういいです】
孫として可愛がられるのはけしてわるい気はしないのだが、それにしても祖父の送ってくる貢物の扱いには毎度のことながら難儀する。
「じぃちゃん、プレゼントありがとう。でも大学生にマムシ酒は早いと思うよ」
「元気でっから飲めぇ」
「夜眠れなくなりそうだよ」
「なら朝に飲めばいいべさ」
「そういう意味じゃ」
祖父が送ってきた一升瓶にはマムシが丸々一匹詰まっていた。一滴でも口に含んだあかつきには怖くて夜も眠れない。
「じぃちゃんは忘れてるかもしんないけど、あたし、女子大生だからね。女の子だから」
「知っとるべ。ボケるにゃまだ早えぞ。おまえさ、ちいこいころに妖精さんに会いてぇ、会いてぇ、地面さひっくり返ってたべ、ばっちりいまも憶えとるが」
「じゃあせめてその妖精ちょうだいよ」憎まれ口がついつい口を衝く。「気持ちはうれしいけど、もうこういうのはいいからさ。気ぃ使わないで」
「そげな冷たいこと言うなし。つぎはちゃんとしたの送っから。期待しててけろ」
いいってば。
あたしの抗議の声は届かなかった。
その数日後に、さっそく祖父から新たな貢物が届いた。名誉挽回に張りきったのだろう、いつもよりも梱包が上品だ。
子猫が入りそうな四角い段ボールに、水引が貼ってある。
中を開けると、黒塗りの上質な箱が現れた。
桐箱だろうか。頑丈そうな割に軽かった。
こんどは何を送ってきたのか。
生き物ではないことを祈りながら開け、すぐに閉める。
あたしの前髪がチリチリ云っている。
慌てて洗面所に駆けこみ、シャワーを頭から被った。
炎が噴だ出したわけではなかったが、箱のなかには、真っ赤にジウジウと熱を放つ岩石のようなものが入っていた。
箱を開けた瞬間に熱気が顔面を襲い、あたしは反射的に閉じたわけだが、これがミステリィ小説だったら、いまあたしは死んでいた。
怒り半ばに震えながら、祖父に電波を繋ぐ。
「じぃちゃん、これなにさ」
「届いたかぁ」
「暢気な声だしてんなよ、前髪燃えちゃったじゃん。危ないもんならそうと一言書いといてよ」
「そげな怒ることねぇべしだ」
「あれなんなの。すんごい熱いんだけど」
「じぃちゃんな、地獄さ行って、地獄の業火の欠片さ、こっそり引っぺがして持ち帰ってきただ」
「地獄の業火って、ちょっともぉ」
祖母はこのことを知っているのか、と問い詰めたくなる。
「地獄の業火はええどぉ。まず燃え尽きね。ずっと延々、アツアツだべ」
「そんなもんどうしろと」
「料理に使えばいいべしだ。風呂を焚くにもええど」
「じぃちゃん、いまは昭和じゃねぇんだってば」
昭和ですら三種の神器くらいはあっただろう。電化製品のない時代の生活習慣を前提に贈り物をされても困るだけだ。
「なんだべ。気にいらんかったか。欲張りな孫だべ」
「じぃちゃんあのな」
「わがった。わがった。つぎは満足いくのを送っちゃる」
もういいってば。
あたしが全力で遠慮する前に祖父は通話を切ってしまった。
またぞろ送りつけてくるのだろうか。
あたしの予想は見事に的中する。
三日後には新しい段ボールが送りつけられてきた。
中には前回と同じような立方体が詰まっている。
こんどは慎重に、おっかなびっくり開けた。蛇がでようが鬼がでようが即座に逃げだせるように靴を履いておく警戒ぶりだ。
外に駆けだせるように着込んでいたのが功を奏した。
箱を開けると一瞬で床に霜が降り、息が白くもわもわと昇った。
箱からは水蒸気が結露して白く霧となって溢れでる。玉手箱さながらだ。私は蓋を閉め、部屋の外に脱出した。
「さっぶ」
炎のつぎは氷かよ。
熱気ではなく冷気が箱のなかには閉じ込められていた。メディア端末を手に取り、電波を飛ばす。
「じぃちゃんありゃなんだ」
「もう届いたべか。はえぇ」
「凍え死ぬかと思ったわ」
「んだべ。冷蔵庫に入れときゃ電源いらずだべ。節約、節約」
「野菜から何から凍って食べるどころじゃねぇべしだ」
あたしはそこで、永久凍土の上で暮らすエスキモーにいかに冷蔵庫を売るかに苦心した商人の話を思いだす。おぼろげな記憶なので間違っているかもしれないが、男は冷蔵庫を物を冷やす機器ではなく、凍らせずにそれでいて腐らず保管できる魔法の箱として売ったそうだ。
物は言いようだが、この場合、あたしは祖父からの贈り物を冷蔵庫として抜擢すべきではない。総じて凍ってしまう冷気の塊をいかに活かせばよいだろう。巨大な倉庫を持っている業者に売るくらいが関の山ではなかろうか。
祖父にそのように文句を投じると、
「んだらばそうしたらええべさ」
いじけたような言葉が返ってくる。「つぎこそは満足させちゃる」
祖父の矜持を傷つけてしまったようだ。
もういらないよ。
あたしの言葉は届かなかった。
祖父からのつぎの贈り物が届く前にあたしは、祖父から送りつけられた二つの危険物の処理に頭を使った。
炎と氷。
熱気と冷気。
無尽蔵に熱を発し、底なしに物体を冷やす魔法の箱があるのだから、これを社会的に役立てないわけにはいかない。
匿名で研究所に送りつけてやろうか。
それとも省エネを求めている企業に、熱源として提供してやるのもよい。研究の素材として価値があると思えば、企業のほうでほどよいお金に換えてくれるだろう。
ゴミ処理場はどうだろう。
冷蔵庫は、巨大な倉庫を所有する企業に提供してもよい。暖房にしろ冷房にしろ、エネルギィを節約できれば言うことがない。
もっと言えば、これを利用すれば原子炉の代わりになるかもしれない。
あたしは箱を二つ並べてよくよく吟味する。
思えばこれは、中身もさることながら、物凄い熱気と冷気を閉じ込めてしまえる箱そのものが優れ物な気がする。
素材はいったいなんだろう。
疑問に首をもたげているあいだに祖父から連絡が入った。
「こんどはきっと気にいるべ。なんせ天狗さまから頂戴した台風の芽だぁ」
「台風の目ってちょっと」
「目玉でねぞ。芽だべ。にょきにょき台風さ育つための苗みたいなもんでな」
「そんなものいらない」
「夏場はほれ、扇風機いらずだべ」
「成長したりしないの」
大きな台風になったら嫌だよ、とあたしは言う。
「なるべしだ。んだば、箱んさなかに入れとけよ。外さだすな」
「いらないってばそんなの。じぃちゃん、あたし本気で怒ってるからね。気持ちはうれしいけどさ、そんなものもらっても全然うれしくない」
「反抗期だべか」
「とっくに終わったわ。じぃちゃんあたしもう大学生なんだよ。おとなだよ。子どもならまだしも、びっくり箱もらってもどうしていいかわかんないよ」
「そげな怒らんでもいいべしだ。むかしから言うど。怒りたいやつは怒りたいから怒るんだと。きっかけはしょせんきっかけにすぎん言うてな」
「知ってるよ。アドラー心理学で有名な話じゃん。目的論ってやつでしょ。でもあたし思うんだよね。あれ詐欺だよね。詭弁だよ」
人間は最初に目的があって、それを行うための言い訳に、きっかけを利用しているにすぎない。アドラー心理学ではそのように説くのだ。ゆえに、たとえばこうして祖父からびっくり箱を送りつけられて怒るひとは、最初から怒るという目的があって、その感情の発露の言い訳にプレゼントを使っているにすぎない。目的論ではそのように解釈する。
反して、不要な贈り物をされたから怒ったのだ、とプレゼントをきっかけではなく、原因と解釈するのが、原因論だ。
目的論では、たとえプレゼントがなくとも、ほかのことを言い訳にそのひとはいずれは怒る。だが原因論の場合は、プレゼントがなければ怒ることはない。
祖父はしかし、目的論を信仰しているようで、あたしの心の根がよろしくないから怒っていると見做しているようだ。
「でもさ、じぃちゃんの言う目的論だって、けっきょくきっかけがなければ怒ることはできないわけでしょ。同じだよね。きっかけに汎用性があるかないかの違いで、たとえばドミノはどこに触れても崩壊しはじめるけど、ドミノに何も触れなかったら崩れることはないわけで。目的論だろうが、原因論だろうが、けっきょく言ってることはそう変わらないとあたしは思うんだけど」
「ぐごー」
「寝んなし」
「ふご。すまんすまん。ばぁさんの料理は世界一美味いって話だったな」
「誰としてた話だよ。あたしは怒ってるって話だったでしょ。もういいよ。じぃちゃん、贈り物はノーセンキューだ、もう送ってこなくていい。気持ちだけありがたく受取ってく。お返しするよ、何か欲しいもんある」
「そうか? だば、お言葉に甘えて。おまえさ送った三つの箱あっぺ。それさ、中身を一つの箱さ詰めてくんろ」
「箱はまだ二つしかないけど、じぃちゃん最初からそれ頼むのが目的だったでしょ」
「すまんなぁ。じつはじぃちゃんな、ばぁさんに叱られちまってこっちで調合できんくなってな。おまえなら大学の構内でいろいろできんべ。三つ目の箱さ、台風の芽も送る。よろしく頼んだべ」
「ちゃっかりしてるよ。ちなみにそれ、三つ合わせたら何ができんの。危ないものじゃないよね」
「でぇじょうぶだぁ。その箱さあれば、どんな爆発でも封じこめる」
「爆発すんの!?」
「しんぺぇすんな。ただちょっと、じぃちゃん、妖精をつくってみたくてな」
「妖精って」
「火と氷と風、あとはその箱はちょっとした木でできててな。全部合わせっと、妖精さ生みだせるって」
「じぃちゃんまたばぁちゃんの本、かってに読んだの」
「ばぁさんにゃ内緒だ。おまえだって妖精、見てみてぇべ」
「そりゃ見てみたくないって言ったら嘘になるけど」
「んだば頼んま。老い先短けぇじぃちゃんのお願い、きいてくんろ」
「それ言うの卑怯」
あたしはしぶしぶ引き受けた。祖父は何も本当にじぶんで妖精が見たかったわけではないはずだ。
あたしが幼いころに捏ねた駄々を、いまでも憶えていてくれただけのことで。
それをいまさらのように叶えようとしてくれているだけなのだ。
孫として可愛がられるのはけしてわるい気はしないのだが、あたしは、材料を調合して、掻き混ぜて食べるタイプの食玩を思いだし、
「お菓子じゃないんだから」
魔女を娶った男の末路を、呆れ半分、諦め半分に、そこはかとなく愉快に思うのだ。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。