執筆記録:
執筆時間47:00(47分00秒)
本文3360文字/80行。総執筆数11104(内訳:追加文字数7302/削除文字数3802)。
ショートショート。
【勘違い事件簿】
とりたてて珍しくのない勘違いの生んだちょっとした事件であるので、犯人が誰かを告げただけでたちどころに、ああなるほどこうしたわけで、事件としてこじれてしまったのだな、と察しのよい方は造作もなく喝破されるだろうが、しかし世の中には察しのよろしくのない私のような者もすくなからず含まれるために、同じ轍を踏まぬようにと注意喚起の意味合いもこめてこうして事件簿と称して日記よろしく残しておくことにする。
犯人は叔父だ。
つまり私の父の弟が犯人だったわけだが、それは誰もが承知の事実であったはずが、発覚が遅れた。
ことの発端は、私の腕時計がなくなったところまで遡る。数年前に祖母が亡くなり、その法事にて親戚の面々が一堂に会した。
風呂をいただき、あがったところで私のつけていた腕時計が、もちろん風呂に入るにあたって外していたわけだが、脱衣所から消えていた。
誰かが持ち去ったか、小動物が咥え去ったかのいずれかであることは考えなくとも導かれる必然だ。断るまでもなく、私が記憶を違えた可能性も残されるが、それはないと今回ばかりは私は私の記憶力を信頼できた。
というのもその腕時計は祖母から戴いたたいせつな形見だったのだ。腕から外すときは、失くさぬようにと置く場所を目に焼きつける癖がついていた。
祖父母の住居でもあるその屋敷には馴染みがない。脱衣所において、よくよく吟味して、腕時計を置いた。
洗面台のうえには置かなかった。誤って排水溝に落ちてしまうかもしれない。穴の大きさからすれば腕時計は引っかかるはずだが、水に濡れるのは避けたかった。
落下して壊してしまう失態も犯したくなかったがゆえに私は、床にタオルを敷いて、その上に腕時計を置いた。
誰かが入ってきて踏まれてしまわぬように、脱衣所の端に、こそこそと隠すように置いておいたのだ。
そこまでしてなくなっていたのだから、これは誰かが持ち去ったと考えるよりない。
祖母は猫アレルギーで飼い猫はなく、犬は外に繋がれている。家のなかをうろつくようなことはない。
なればこそ私は、誰かが持ち去ったのだ、と早々に結論付けた。
悪意ではないだろう。
床に置いた私がわるいのだ。それを誰かが落としていったのかも、と配慮から拾いあげた者があってもおかしくはない。
したがって私は、風呂上りにじぶんの荷物を念のために漁り、たしかしにじぶんは持っていないと確かめてから、夕飯時、一同が集まった場で、腕時計のことを話した。
「というわけで、あすこにあったのは祖母からもらい受けた形見の腕時計でね。誰か拾っていたりしないだろうか」
顔を見渡すも、誰も手を挙げない。箸を咥えながら互いに顔を見合って、ゆるゆると首を振る。私ではないが、の意思表示だろう。
「おまえの記憶違いではないのか」祖父が言った。押し殺したような声音から、みなを疑うような物言いをするな、と釘を刺された心地がした。
「就活で忙しい時期だから、疲れているんだ。そうだろ」
父がすかさず助け舟をだしたが、それは暗に私が思い違いをしていると責めているようなもので、けして私の味方をしているわけではなかった。
父のとなりでは父の兄が、好々爺然と笑みを浮かべている。
私はじつのところ叔父が犯人なのではないかとすでにこのときに当て推量をつけていたのだが、ここでそれを口にするには祖父の機嫌は立て直しようのないほどに崩れており、致し方なく口をつぐんだ。
祖父のとなりでは叔父が我関せずの様相で、寿司からわさびを抜いていた。
私は食事の後片付けを、母といっしょにこなした。台所で皿を洗い、母がそれを拭って食器棚に仕舞う。私の性別をここで明らかにすることにさして意味はないので、このまま私は私と称するにとどめるが、ほかの面々、とくに男衆には手伝いの一つでも買ってでてもよいのではないか、と内心では腐っていた。
こんなだから祖母も早くから亡くなってしまったのではないか、とこれはあまり褒められた所感ではないにしろ思ってしまう。精神的疲労というやつだ。
もちろんそんなことはない。
祖母は言ってしまえば、この家に住まう叔父のせいで亡くなったようなものだった。叔父以外は誰もが承知のそれを、もちろん叔父に突きつけるような真似はしない。そこまで私は人として腐っていなかった。
母がとなりに並び、腕時計残念だったねぇ、と言った。
「どこかにはあるはずだから、きっといつかは出てくるでしょ」
「だとよいのだけど」しばし黙してから私は、どうしても言わずにおられなくなり、たぶんだけど、と口にする。「叔父さんではないだろうか」
「まさか」
「だってほかに考えられないのだもの」
「いくらでも考えられるでしょうに。きっとネズミか何かが持ってっちゃったのね」
「叔父さんに直接訊いてもいいかな」
「失礼なことを言うんじゃありません」
「しかし」
ここで私は母が本気で怒っているようなので、何かおかしいな、と感じはじめていた。祖父ならいざしらず、母が業腹になる様子を私は想定していなかった。
「どうしてみなは叔父さんを疑わないのだろうね」
「そりゃ立派なひとだもの。あなたの時計をとる理由がないじゃない」
「理由なんかいらないだろうに。ただ目についたから興味本位で持ち去っただけかもしれないではないか」
私がそのように語気を荒らげると、母は、乾いた笑いを発し、そんな子どもじゃないんだから、と言った。
ここに至って私はようやくじぶんの錯誤に思い至った。
いいや、より正鵠を射る表現を心掛けるのならば、私以外のおとなたちが、みなこぞって勘違いしていたようだ、と私は気づいたのだ。「ひょっとしてだけど、お母さんたち、私の言っている叔父さんって、お父さんのお兄さんのことだと思ってる?」
「それ以外に誰が」
とそこまで口にしてから母は、ああ、と手を打った。「アムくんのこと?」
「あたりまえじゃないか。私がツトム伯父さんのことを疑うわけがないではないか」
「まどろっこしい言い方をしてもう」
なぜか私が叱られる。
それから母は踵を返して、台所と隣接する居間へと赴き、「アムくん、アムくん」と父の弟を呼んだ。「腕時計知らない? お姉ちゃんが失くしちゃったんだって。もし見つけたら教えてね」
そこで私の叔父たる、四歳児のアムトは、うん、と頷き、知ってるよ、と言い残して、廊下に走り去る。待ってて、と声が反響し、間もなく彼は私の失くした腕時計を持って戻ってきた。
母はそれを受け取り、叔父のあたまを撫で、ありがとう、と言い残し、私のもとに戻ってくる。
「あとでお礼ちゃんとしないさいね」
母から腕時計を受け取り私は、私よりも十八歳も年下の叔父を振り返る。
叔父はミニカーを畳の上に走らせ、遊んでいる。
私にとっての祖母は、私にとっての叔父、私の父にとっては弟にあたるアムトを産んだことで命を落とした。
より正確には、出産で弱った身体で流行り病にかかってしまったことが直接の死因となった。
高齢出産は珍しくない時代である。不幸な死と言えた。
食器をあらかた洗い終えると、母がお茶を淹れてくれた。
「まったくもう。まどろっこしい言い方をして。あなたが叔父さんなんて呼ぶから、勘違いしちゃったじゃないの」
「間違った言い方ではないのに」
「あなたに言われるまで忘れてたわよ。アムくんがあなたの叔父だってこと」
「じゃあなんだと」
「いとこ?」
「あのねぇ」
「みんなだってそうよ。お父さんにしたところで、アムくんを弟とは見做してないんじゃないかしら。おじぃちゃんにしたところで、じぶんの息子というよりも孫みたいな感じでしょうし」
それはそうだ。
祖父からしたら孫である私のほうが、息子であるアムトよりも歳が上なのだから、そう思ってしまうのも詮方ない。
「昔はよくあったのよねぇ。子だくさんの時代は」
母は遠い目をするが、しかし母の時代とてすでに少子高齢化が叫ばれていたのではないか。
腕時計を手首にはめ私は、母の淹れてくれた茶を口に含む。
とりたてて珍しくのない勘違いの生んだ、ちょっとした事件ではあったが、就活の息抜きにしては出来すぎた休暇であったかも分からない。
私は祖父母の家を両親と共にあとにする際、叔父であるアムトに、お小遣いをあげた。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。