執筆記録:
執筆時間56:58(56分58秒)
本文3311文字/80行。総執筆数7260(内訳:追加文字数5427/削除文字数1833)。
ショートショート。
【言いなりプリン】
 母が朝から慌ただしく、早くあんたも準備して、と急かしてくる。
 ルルは五歳の女の子で、母のそうしたキンキンした声を好きではない。おとなしく母の言うことを聞いて動いても母のキンキンがおさまることは稀で、だからもはや言うことを聞かないでいたほうが得をすると学んでいる。
 先日ルルの前歯は抜けたばかりだ。ほかの歯もぐらぐらしている。隙間が開いているのが恥ずかしく、なるべく口を閉じている癖がついたが、口を閉じていても柔らかい物なら隙間を通して食べられるので、食事のときはすこし楽しい。
「ちょっとぉ、なんでプリンなんか出してんの。あとにしてよ、いまそれどころじゃないんだからさあ」
 母は自身のメディア端末を操作し、早く逃げなきゃ危ないんだよ、と喚いた。手当たり次第に鞄に荷物を詰めこむ母の姿を尻目に、ルルは手渡された端末の画面を覗きこむ。
 辺り一面、ドロドロの黒い液体が覆っている。どこかの街並みの一画だ。航空機からの映像だろう、俯瞰の視点で、ビルの立ち並ぶ街の様子を映しだしている。
「避難しなきゃなんだからお願いよルル。急いでお着替え済ませてよ」
 母が怒鳴り散らしているが、ルルはまだプリンを食べていない。これを食べなければ空腹で死んでしまうかもしれない。母はルルがどうなってもいいと思っているのだろうか。ルルは哀しいのと、理不尽なのと、プリンを食べたいので、もう何も考えられなくなる。
「パパだって緊急で呼びだされてあんな危険なところに行ってるんだよ。ルルもそうなっちゃうかもしれないんだからね」
 もはや母はルルをどのように脅せば動いてくれるのかに注力しはじめている。ルルはしかし、何を言われようともプリンを食べるまでは動く気はなかった。
 蓋をぺろりとめくり、スプーンを突きさす。
 端末の画面を覗きこみながらスプーンを口に運ぶと、映像のなかの光景に異変が生じた。映像は生放送だったらしい。突如として地面がえぐれ、ドロドロの液体が穴に落ちていく。
 緊急事態です、と記者らしき人の声が入った。スタジオは騒然としている。
 ルルは画面から目を離せなかった。しぜんと腕は、二口目のプリンを掬うべく、スプーンを動かしている。
 プリンの表面にはカラメルが覆っていたが、いまは一口目に開いた溝に落ちて、表面には張っていない。穴に落ち込んだカラメルを食べようとルルは、いつものように無意識から、同じ場所にスプーンを差しこむ。
 端末の映像にさらなる変化が生じる。こんどはゆっくり、ゆっくり、と穴が一段深く抉れた。その様子が、わずかに輪郭を広げる穴の様子から窺えた。中に落ちたドロドロの液体は、巨大な湖と化している。黒くドロドロと粘着質で、一見すると原油のように見えなくもない。
 ルルははたとスプーンを止める。
 映像のなかの穴も、その拡張を止めた。
 ルルにはとくに何の驚きも、考えもなかった。
 ただなんとなく、プリンをいまここですっかりすべて食べてしまうのはよくない気がしたが、もう口のなかはよだれでいっぱいだし、お腹はさらに減ってしまって、ぐー、と虫が鳴く。
 いまさら止めようがなく、こんどはひといきにスプーンを突き刺し、頬張った。
 映像のなかから街が一つ消えた。突如として広域にわたって土地が沈下し、跡形もなくなくなった。避難が完了していたとはいえ、無残な光景だった。
 ルルにはしかし、その映像と映画の区別もつかない。詮もない。五歳児なのである。
「ちょっとルル、いい加減にして」
 人を殺傷しかねないほどに声を尖らせて母が、足音をどすどすと響かせて近寄ってくる。ルルの腕を掴み、「もう行くよ。ダメ。そんなの食べてらんないの」
 プリンとスプーンを取りあげて、ルルに着替えを押しつけた。「それ着て。ああもう、いまじゃなくていいから。車のなかでいいから」
 母はルルから奪ったプリンを冷蔵庫に仕舞い、スプーンをリュックサックに詰めると、ルルに背負わせる。「ほら行くよ」
 ルルは母の端末を握ったままだ。自動車に押し込まれ、着替えをひざのうえに載せたまま、画面のなかの映像を眺める。
 大きな、大きな、穴が開いている。底は見えず、穴の縁からは、かろうじて巻き込まれずに済んだ家々が、しかし安定を崩して落下していく。ぼろぼろと零れる様子はまるで、バームクーヘンを齧るルルの食事風景だ。
「行くよ」
 母が自動車を発進させる。「パパ、無事だといいけど」
 ルルが唇を尖らせて黙っていると、
「さっきはごめん。ママ、ちょっとイライラしてた。ルルはわるくない。お腹空いちゃったよね、これ食べる?」
 運転しながら後部座席に腕を伸ばし、母はおにぎりをルルの手に握らせた。「食べちゃって」
 いまはおにぎりよりもプリンが食べたかったが、ここで我がままを言っても通らないし、せっかくトゲトゲの消えた母の声にふたたびのキンキンを宿したくはなかったので、ルルはおとなしく包みをほどいて、おにぎりを頬張る。
 目のまえに巨大な歯が現れ、一瞬で前方の土地が消えた。
 母が急ブレーキを踏み、ルルはつんのめる。
 母が絶句している。
 道はさきまでつづいているが、しかし地平線のさきがなかった。空が真下まで伸び、あたかも崖っぷちに立っているような錯覚を覚える。
 巨大な穴が開いている。もはや穴ではなく、そここそが地上と呼びたくなるほどだ。一瞬にしてルルたちのいる場所が高所となった。頂上となった。山となり、目のまえに谷ができた。
 底のほうにはマグマが溢れだし、梅干しのごとく赤く広がりを帯びていく。
 ルルは母の顔色を窺いながら、おにぎりの残りを口にしようとするが、さっきの衝撃で床に取りこぼしていた。拾って食べようとするものの、母の手に止められた。
「汚いからやめな」
 どうして、と抗議の眼差しを向けると母は、
「もう病院にはかかれないかもしれないんだから」と言った。自動車を反転させ、いまきた道を引き返す。自宅に戻り、母は扉を厳重に閉じた。
「どうしよう、どうしよう」
 ルルは背伸びをして冷蔵庫からプリンを取りだし、それを頭を抱えた母に差しだす。
 まずはこれをお食べ。
 とっても美味しいよ。
 お腹が空いているからイライラするのだ、とルルは思った。その気持ちはよく分かった。
 母はルルの顔を見て、ぼさぼさの髪の毛のままスプーンとプリンを受け取る。
「ありがとう」
 母はプリンを一口だけ頬張り、しばらく放心したのちに、よろよろと立ちあがる。
「よし。お代えしにプリンをつくってやるとするか」
 空元気だろうか、母は台所に立ち、卵やら砂糖やらを並べ、ボールに材料を突っこみ、混ぜはじめる。
 ルルはその様子を背伸びをしながら覗きこむ。「ルルも手伝う」
「そう? じゃあこれをお願いしよっかな」
 母の作ったタネを茶碗に流しこむ役を任され、ルルはそれを上手にこなした。冷蔵庫に入れて、固まるのを待つ。
「あーあ。世界も終わりかぁ」
 なぜか母は鼻歌を歌いながらルルを抱っこした。ルルは母の肩に頬を押し当てながら、母の端末がブルブル揺れるのを目に留める。
「パパだ」
 母はルルの声に反応し、俊敏な動きで端末を拾いあげると、だいじょうぶだった?と開口一番に投げかけた。
 ルルの耳に、父の声が微かに聞こえた。それから母は父から指示されたのか、据え置き型の端末を操作し、壁掛けの画面に、ニュース番組を映した。
 映像では、なぜか消えたはずの都市が復活しており、矢継ぎ早に窓際に移動した母がカーテンを開け放つと、抉れたはずの地表が元通りになっていた。
「なんなのいったい」
 母の声に、父の声が、わからん、と答えた。
「ママ、プリン」
 もう取りだしてもよいのではないか、とルルが伺いを立てると、
「いまそれどころじゃ」
 言いかけた母だったが、ルルの顔を見て吊りあげた眉を元に戻した。
「そっか、そうだね。食べよっか。パパもいま戻ってくるって」
 よかったね。
 母の言葉にルルはしかし、プリンが減ってしまうではないか、と唇を尖らせる。
 ルルの不満の気持ちが伝わったのか、母は言った。「パパにはさっきの、食べかけのをあげちゃおっか」
 ルルは、にかっと笑い、唇の合間から欠けた歯の隙間を見せつける。
 推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。
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言いなりプリン
初公開日: 2021年01月13日
最終更新日: 2021年01月13日
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