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本文13166文字/265行。総執筆数45258(内訳:追加文字数29609/削除文字数15649)。
ショートショート。
【魔王の飽食】
 魔王は飽いていた。先日、うるさ型の勇者一行をようやく撃退し、その一族郎党、果てはかの者たちに魔王討伐を依頼した国々ごと、暇つぶしも兼ねて、殺戮の限りを尽くした。
 勇者には最期までその光景を見せつけた。目のまえで、親兄妹を生きたまま切り刻み、赤子をつぎつぎに運んでは、勇者の身体を操り、みずからの手で血の果実酒を絞りださせる。
 人間の血肉は美味である。涙ながらに同族を切り刻み、すりつぶし、つぎつぎに調理してくれる勇者の無様な踊りは、余興としては最高だった。
 だがそれも、間もなく飽いてしまった。食傷だ。食い飽きたし、見飽きてしまった。
 元から似たようなことは各地で繰り返しおこなってきた。森に入り、果実をもぎとって腹を満たす狐と変わらぬ暮らしだったが、そこで現れたのが勇者一行だった。
 楽しかった。
 ぴくりとも動かなくなった勇者の首を片手でもぎとり、これをどうしたものか、と思案しながら、じぶんはこの者と対峙し、あれやこれやと策謀を巡らせ、敵対した日々を楽しんでいたのだと知った。
 その日々は戻らない。
 どうしたものか、と魔王は悩む。
 本能に従い、暴虐の限りを尽くしてきたが、日々それがつづけば暴虐も単なる日常のいち経過に成り下がる。
 人間たちが食事と称してほかの生物種を残虐し、切り刻み、美味と微笑みあって腹に入れる一連の所業をして、冷酷非道とはけして見做さず、自らの暴虐を省みないことと同じだ。
 暴虐を働かねばならぬ。
 より残酷に、この世で最も非道な行いをしたいとの欲求は、日に日に、そうせねばならぬとの使命感、ともすれば焦燥となって魔王に底知れぬ苛立ちを募らせていった。
 この世で最も非道な行いとは何か。
 奪うことだ。
 この世で最も価値のあるものをこの手で奪い、損ない、蔑ろにすることこそが我が生き甲斐である。魔王はかようにおやつ代わりの少女をチビチビと齧りながら、この世で最も価値があるものとは何かに思いを馳せる。
 いったい何であろう。
 何を、誰から奪えば、それが最も非道な行いとなるのか。
 奪うためにはまず、探さねばならぬ。
 この世で最も得難い至高の存在を。
 だがそんなものが果たしてあるのか。
 この世で最も尊いと謳われる命を、これほどに無造作に、無尽蔵に、いくらでも摘み取ってきた。もはやこの世そのものを破壊する以外にないのではないか。
 だが果たして、この世とはそれほどに価値のあるものだろうか。
 魔王は思案する。
 勇者たちは、我が存在を、この世にあってはならぬものそのものだと指弾した。我が存在の一挙一動がもたらす作用そのものが、地獄を生みだすのだと訴えていたが、もしそれが真実だとすれば、この世を破壊し、この世と共に我が存在を亡き者にしてまえばそれは、忌むべき地獄を消すのと同義であり、けっきょくそれこそがある種の救済となり得るのではないか。
 この世が地獄ならば、この世を奪ったところで、それはけして非道とはならぬ。
 勇者とて、拷問の最中にいくども、殺してくれ、と懇願した。地獄をまえに人は正気を保てない。それを、生きる気を、と言い換えてもよい。
 ならば、どうすればよい。
 魔王は悩みに悩んで、はたと閃く。
 この世を奪ったときに、それがこの世で最も非道な行いとなるように世界のほうをこそ創り変えてしまえばよいのではないか。
 千人の赤子をつぶしてつくった酒を呷りながら魔王は、そうだ、そうだ、と一万人の男衆に殺し合いをさせる。
 人間の幼子が蟻の巣をいたずらにほじくるように、魔王は一万人の殺し合いを眺めつつ、探しだせぬのならばみずからの手で生みだすよりないではないか、と久方ぶりに胸がときめいた。勇者との死闘を経てから優に数百年は経っていたが、ようやくというべきか退屈な日々からの活路が見えた気がした。
 この世を、最も得難い理想の世界に創り変える。
 そのうえで、最も至福の行きわたった時点で、それを奪い去ればよいのだ。
 積みあげて、積みあげて、あと一歩で完成というところで、否、この安寧が永久につづくと誰もが至福に浸かっているところで、すべてを根こそぎ奪い去る。
 暴虐の極致である。
 魔王は鼻息を荒くした。
 与え、与え、与え尽くしてなお与え、永劫つづくそれがこの世の理だと誰しもが見做したところで、平然と取りあげ、破壊し、奪い、奪い、奪い尽くしてなお奪い、死こそが救済と誰もが疑いようなく唱える世界にする。
 想像しただけで恍惚とした。
 魔王はまず、手ごろな赤子をゆびでつまみ、この者にあらんかぎりの至福を与えんと画策した。
 服を与え、住まいを与え、食べ物を供給し、友となる者たちをあてがい、娯楽を、恋を、そしてときおり試練を与えて、乗り越え、成長するよろこびを抱かせた。
 伴侶を選ばせ、子を儲ける余裕をもたらし、さらには大勢からの称賛の声、憧憬の眼差し、尊敬に満ちた交流を築かせる。
 赤子はすくすくと育ち、順調に、少年から青年となり、誰からも親しまれる勇敢で知恵のあるおとなへと昇華する。だが、ある時期を超えるとなかなか他者と関わろうとしなくなった。孤独の殻に引きこもり、ひたすら書物を読み漁る。
 それが最も安らぐ環境であったようだが、これではダメだ。魔王は呻る。なるべくより多くの至福に囲まれてもらわねばならない。繊細に彩られた極楽であればこそ奪うに値する世界となるのだ。
 これでは実験は失敗だ。
 至福の世界をたった一人にすら与えられぬようでは、とうてい世界そのものを塗り替える真似などできやしない。
 だがまだ遅くはない。
 男は生きている。
 なればいまからでも修正を施し、できる限りつぎに活かせる情報を仕入れておこう。
 魔王は娘の姿へと変貌し、男に近寄った。
 男は他者を拒まない。他人を傷つけない。ゆえに魔王扮する娘のことも無視することなく、追いだしたりもせずに、そばにいることを許容した。
 魔王はことさら男に尽くした。声をかけ、笑みを向け、閉めきった部屋の空気を入れ替え、ときに窓を開け放ち、陽の光を入れる。花を生け、子猫を飼い、栄養満点の食事を振る舞い、部屋の掃除を隈なくする。
「どうしてそこまでしてくれるのですか。そんなことをせずとも、欲しいものがあればお譲りしますが」
「あなたさまはどうしてそのようにご立派なのですか」相手を立てるのも忘れない。「まるで魔法使いのように、何でも思いのままに生みだせてしまえるかのようです」
「そういう星のもとに生まれたみたいです。僕の意思とはべつの何かが、僕にあらゆる幸運を運んできてくれます。何かが違う。それは僕に備わった能力ではなく、僕にまとわりつく何かの恩恵のようなものなのです」
「謙虚なのですね」
「事実を述べたまでです」
 魔王は多少、男を見直した。思っていた以上に賢い人間だった。かつての勇者を彷彿とする。誰からの教えも受けずに、自らの境遇を的確に見抜いている。自身の周囲にある環境が、じぶんの手によって築かれたものではないと、彼はとっくに見抜いていた。
 見抜かれていた事実に、魔王は多少なりとも面食らった。
 甘い果実にすぎないと思っていたら、生半でない毒を有していたと、腹を下してから知ったような心地だ。愉快である。
 恋心を寄せているようにそれとなく醸してみせるが、男にはまったくなびく様子がない。
 娘ではなく青年のほうがよかっただろうか、と趣旨を間違えたかもしれないと思い、分身して、男の伴侶候補にも化けてみせたが、やはり手ごたえはない。
 それどころか、魔王扮した娘と青年を結び付けようとする始末だ。
 男にはどうあっても誰かと添い遂げるつもりはないのだと判った。それが男の至福の環境なれば邪魔をするのも野暮だろう。かといって、ここで去る真似をすれば、それこそ男から何かを奪ったようなものだ。いちど与えた供物を取り下げるのは魔王としての矜持に障る。
 否々、矜持などと腹の足しにならぬものなど些事である。与えて、与えて、与え尽くした末に奪うからこそ意味がある。
 だがこの考えにはひょっとしたら穴があったかもしれない、と思い直す。
 なぜなら男にいくら果報となり得る供物を与えても、満足した様子が窺えないからだ。
 魔王は苦慮した。
 至福とはこうも難儀なものであったのか、とつくづく身に染みて理解した。奪えば顕現する暴虐とは一線を画する何かが、至福にはある。おいそれと実現することはできないのだ。
 ゆえに、奪う価値がある。
 魔王の生き甲斐となり得るのだ。
 魔王は娘と青年の姿を駆使して、男にさまざまな問いを投げかけ、その問答を通して、男が何を欲しているのかを探った。
「何もないんだ。満ち足りている。僕はしあわせなんだろう。ただ、満ち足りてしまったらもうほかに何をすればいいのか分からなくなってしまってね」
 彼は言った。
「僕だけがしあわせでも意味がないのかもしれないとあるとき気づいたんだ。僕は僕だけで満ち足りている、しあわせだ。だのにそのほかの者たちはそうではない」
「あなたさまはみなにたくさんの恵みを配っているではありませんか」
「分け与えたいと思い、そうしてきたつもりだ。でもやはり誰もが僕のようにはなれない。不平等だ。不公平だ。僕はなんの苦労もなくいまの環境を手にしている。そしてそのほんのおこぼれを、みなに分けているだけだ。僕は何も痛くない。失っていない。みなからの感謝を受け、さらに至福が膨れていく。きみ、何かこれがいびつに思えないか」
「いいえ、まったく」
「僕がいなければきっと僕からの恩恵を受けていた者たちは困るだろう。だから自死したりしようとは思わない。ただ、何かが変だ。僕はその違和感を突き止めたい」
 ゆえにこうして書物を読み漁っているのか。
 魔王は合点した。彼は、無意識の領域で、自身がただの傀儡であることに勘付いている。彼は、自身の環境を整えている魔王そのものに会いたがっているのだ。
「その願いが叶わない限りは、あなたさまはしあわせにはなれないのですか」
「勘違いしないでおくれ。僕は恵まれている。しあわせだ。ただ、何かを求めずには、生きていられないことも知っている。何かを求めていたいんだ。そして僕にはもう、これくらいのものしか残されていない」
 なぜ僕だけが恵まれ、みなが僕と同じようになれないのか。
「その謎が解かるまでは、真実に至福とは思えないわけですね」
「どうだろうね。僕はきっと誰より欲深いのだ。謎が消えればまた別の謎を探し、その解明にいそしむのだろうね」
「もしみながあなたさまと同じくらい豊かになれば、すこしは気が晴れますか。もっとみなと繋がり、笑い合えるようになるのでしょうか」
「どうだろうね。みなと繋がり笑いあうことだけがしあわせではないと僕は思うよ。選べることがだいじなんだ」
 なるほど、と思う。
 勉強になる。ただ奪えばひとまずは満ち足りる魔王にはない考えだ。
 魔王は娘と青年の姿を駆使して、男の環境に介在しつづけた。話し相手になり、ときに問題を起こして、男の手を煩わせた。
 男はほかの人間たち同様に年々年老いていく。
 いちど、世話役の青年に長旅をさせてみた。むろん建前上という意味であり、魔王が分身を解いて、この世から消し去ってしまったにすぎないが、男はその事実を知らぬままにときおり寂しそうな表情を浮かべ、残りの分身たる娘へ、彼は無事だろうか、手紙は届かないだろうか、と水を向けるようになった。
 彼のほうから言葉をかけてくるのが珍しく、効果があったようだと魔王は内心でほくそ笑む。なんだかんだ言いながら、他人との交流をことのほかこの男は楽しんでいたのだ。
 ならばそれを奪ってやったら悲しむのではないか。
 試しに、青年の分身を無残な死体に加工して、事故死したことにした。男はその事実を知るなり、すっかり塞ぎこんでしまった。
 感情の起伏に乏しい男だと思っていた。
 たった一人、身近な世話人が死んだだけでこうも傷つくものなのか、とかつて市民の死に心を痛め、奮起した勇者の姿と重ね見る。
 魔王は娘の姿で男に献身しつづけた。
 男はもはや娘を、我が子のような慈しむ対象として見做していた。伴侶となるべく近寄ったが、期せずして男にとってのだいじな人物となれた。
 魔王はことあるごとに、男から要求を聞きだし、魔王のちからを駆使して男の退屈な日々に潤いをもたらした。
 しかし男の飢えはすぐに乾くようであった。
 もはやこの男は、至福になることそのものが苦痛なのかもしれぬ。魔王はかように考えを改め、そしてこの男からもう何も奪うことはないのだろう、と予感した。
 男は青年を亡くしたことで深く沈みこんだが、却って笑顔を浮かべる頻度が増した。日々のちょっとしたことに努めてよろこびを見出そうとするかのような葛藤が見られた。涙ぐましいその努力は、娘を心配させぬようにとの配慮だけではなく、真実男にとって、望まぬ形であるものの、至福をもたらす契機になってもいるようであった。
 男は、奪われることで至福を感じるゆがんだ存在になっていた。むろんそのことを心のどこかしらで直感しているのだろう。引け目を感じているのだろう。拭えぬ罪悪感を胸に、苦痛と至福の板挟みのなかで、男はようやく笑みを浮かべる許しをじぶんに示せたようであった。
 面倒な男だ。
 人間とはかくも複雑で、忌々しく、苛立たしい存在である。
 魔王は男にあらゆる恵みを与え、それを奪ってみせようと画策していたが、この企みは失敗に終わったと言えた。
 与えても、奪っても、男は苦しみ、同時に至福を得る。何をしようがもはやこの男を至福にも、地獄にも突き落とせない。
 いいや、目のまえで百人、千人、一万人の赤子を、娘を、老若男女の阿鼻叫喚を聞かせれば、さすがにこれまでの日々を至福に思い、突きつけられた現実を地獄と見做すだろう。この男に暴虐を働くのは容易である。
 しかしこれは飽くまで実験だ。
 人間一人に究極の至福を与えられてこそ、万人にその環境を共有させ、永久につづく至福の世界を見せることができる。奪うに値する豊かな世界を創りだすことができる。
 だがどうだ。
 たった一人のしがない男すら満足に至福に生かすことができぬではないか。
 これではさきが思いやられる。
 男は大病を患うことなく、齢八十を超したところで寿命を迎えた。
 臨終の間際、魔王は娘の姿で男の枕に立つ。
「おまえはいつまでも若いままだな」
「そのほうがおよろこびになられるかと思いまして」
「愚かなことを言う。年老いる喜びを知ってこそうつくしい。そうではないか」
「ですが老いれば弱ります。いまのあなたさまのように」
「これでよいのだ。死あってこその生なのだから。こうしておまえに看取られ死ぬのだ、これ以上ない至福というよりない」
「至福なのですか」
「当然だ。いままでそばにいてくれてありがとう。うれしかった、しあわせだった。本当の娘のように思っていた」
「ならばいまそれを奪われたらよほどおつらいでしょうね」
「こんなときにそんなことを言うでない」
 男は笑ったが、娘が表情を崩さぬままであったのを目にするとそこに至ってはたと笑みを消した。「おまえは、誰だ」
「わたくしはわたくしでございます。ただ、そうですね。このまま無駄に死なれるのもなんだか癪に思いはじめました。おまえをしあわせにせんとあれこれ手を焼いてきたが、こうも思い通りにならぬとはな」
 男は老いた身体を起こそうとしたようだが、魔王は男の身体を視えぬ縄で縛りつける。ちっちっち、と指をよこに振り、暗に無駄だと示してやった。
 なかなかいまのは魔王らしかったのではないか。久方ぶりに昂揚する。魔王はやはりこうでなくては。
 男の皺だらけの顔が硬直し、死の間際だというのに、生気に漲った。上質の疑問がとめどなく押し寄せていることだろう。恐怖に染まってよい場面でこそ、この男はこのような顔をする。やはりまだまだこの男からは学ぶことが多そうだ。
「おまえの望みを叶えつづけてきたが、ようやく一つ目的を果たせそうだ。おまえの最期の至福、奪わせてもらうぞ」
 なにを。
 男がそう呻いたが、魔王は娘の姿のままで男の胸を腕で貫いた。
 絶命して然るべき光景にあって、しかし男は生きている。腕を引き抜くと、魔王の手には男の心臓があり、代わりに男の胸の傷は見る間に塞がった。
「おまえにはもうしばし生きてもらわねばならぬ。わしに教えてくれ。いかにすればこの世を至福で満たせるのかと。おまえならばその道が見えるだろう。いまのおまえならば」
 男の顔からは皺が消え、白髪が消え、肌に艶が宿る。胸板は厚く、腕がねじれるたびに筋が浮きあがる。
「おぬしはもうわしの許しなく死ぬこともままならぬ。おまえにはあらゆる恵みを与えた。それをすべて奪わせてもらう。おまえの命も、運命もすべて我が手中だ」
「あなたはいったい」
「おまえは知らぬだろう。真実を教えてやる」
 指を彼の額に突き刺し、直接記憶を流しこむ。魔王がこれまでしてきたこと、その来歴、歴史、経緯、娘の姿をとって彼の世話をしてきた裏側でこなしてきた非道の数々、ともすれば彼を豊かにするためにこなしてきた工作を含めて、すっかり植えつけた。
「どうだ、分かったか」
「あなたが、魔王」
「おまえの読んできた書物にはなかった歴史だろう。おまえの知る世界は、わしの手によって狭められた箱庭にすぎん。そのそとではいまなお我がしもべたちが残虐の限りを尽くしている。しかしわしは飽いたのだ。もっと極上の暴虐を働きたい。ゆえにおぬしに課す。わしが奪うに値する世界を築け。わしはそのためならばおまえの手足となろう。どうだ、わるい話ではなかろう」
「いずれはその世界もあなたの手によって奪われるわけですか」
「そうだ。だがそれまではおまえの望みどおりに世界を動かせる。おまえは言っていたな。なにゆえこうまでも世界は不平等で不公平なのかと。しかしそれは違う。いまは違う。おまえには、世界を平等に、公平にするだけのちからがある。わしがそれを与えてやる。その代わり、永劫そのおまえの理想、至福、秩序が築かれた暁には、根こそぎ奪わせてもらおう。むろん、そうさせぬためにおまえが手を抜けばその時点で、すべてを白紙にし、またおまえのような人物を育て、これと同じことを繰り返そう。わしには時間ばかりがあるゆえ、手間がかかりはすれど、それもしょせん暇つぶしにすぎん」
「ひどい話ですね」
「では断るか? それも一興。もはやこの世にわしの意に反する者がおらんゆえ、反逆してもらえたほうが愉快と言えば愉快だが」
 かつて勇者がいたことを彼は魔王の植えつけた記憶を通して知っている。そして魔王が勇者に好意とも呼べる感情を寄せていることも承知しているはずだ。 
「分かりました。協力しましょう。この世を至福で溢れさせる。みなにこれ以上ない極上の至福を提供し、共有し、誰もが理想とする社会に致しましょう」
「おう、頼もしいな」
「ですが一つ問題が」
「なんだ言ってみろ」
 魔王は娘の姿のまま箪笥のうえに腰掛ける。男は手の甲に浮かぶ若々しい血管を眺めながら、
「誰もが極上の至福に浸かる世界、掴む世界、しかしそこに魔王、あなたは含まれないのではないですか」
「なんだ、そんなことか。問題なかろう、わしは例外としてよい」
「ですがあなたの部下たちはどうなのですか。この世には、暴虐をこそ至福と思う者たちがおります。その者たちをすべて度外視して、理想の至福に溢れた世がつくれるでしょうか」
「いまいちわからんな。度外視してよいと言うておろう。そも、何の問題もない。順番が多少前後するだけの話だ。わしは我慢をしてやると言うておる。おまえたちをさきに至福にし、その後に、おまえたちを損なうことで、極上の至福を味わう。何が問題だ?」
「それを言うならば、魔王、あなたはあなたと似たような者たちには永久に暴虐を働かせることができぬ道理。違いますかな」
「まあ、そうなるな」
「それでは暴虐の極致など、とうてい言えるものではない。違いますか」
「かもしれぬが、しかし」
「魔王。あなたはこの世で最も、強くなければならない。意のままに操れなければならない。奪えなければならない。違いますか」
「何も違わぬが」
 何が言いたい、とねめつける。魔王は思う。少々、こやつを甘やかしていたかもしれぬ。手足を五万回ほど引っこ抜いてやらねば立場というものを弁えないのではないか。魔王は久方ぶりにイライラした。イライラはよい。まるでかつて勇者をまえにしたときのような高揚感を覚える。
「魔王。あなたはもっと大勢の者から奪えるはずです。自由を、至福を。その余地ごと、環境ごと、すべてを奪い、損ない、破壊し、暴虐の極致を手にできるはずなのです」
「そうなのか。ではそれをわしに味わわせろ」
「そのためには魔王、あなたのような方々にも至福になってもらわねばならぬのです。あなた方がその他大勢を損ない、奪い、非道を働きながらも、同時にそれらがみなの至福を侵さぬように」
「無理であろう。さすがのわしでもそれが矛盾であり、あり得ぬことくらいは解かるわ」 
 おぬし、と魔王は腕を壁に向け、その延長線上百キロほどにある土地を消し炭にする。「舐めておるのか、わしを」
「いいえ。あなたさまは本物の魔王なのでしょう。神をも凌ぐ、この世の支配者」
「ならば黙ってわしの言うことをしろ。願いを叶えろ。わしを手足とし、この世を至福の世界に変えるがよい」
 そも、と魔王は思う。じぶんを含めたすべてを至福にし、その後その世界を葬れば、必然、じぶんも死ぬこととなる。それはそれで楽しそうだが、できればいつまでも愉悦に浸っていたい。何度でも繰り返し味わいたい。なればこそ、じぶんは例外だとしてよいのではないか。それこそ傍若無人よろしく暴虐魔人と呼ぶにふさわしいのではないか。
「魔王、だいじなことなのです。あなたが至福になれぬ以上、この世に理想の世界など築けないでしょう」
「何度も言わせるな。わしはわしがしあわせになりたいがゆえに、暴虐の極致を味わいたいのだ。なればこそ、さきにおまえたち脆弱な人間どもが至福につつまれなければならぬのだ」
「では魔王、あなたはいましばし、そのチカラを振るわずに、この世のすべての者たちが至福になるために尽力すると、その手助けをすると、そういうことですか」
「最初からそう言うとろうが。なんじゃ。おまえは本当は愚者なのか」
「いいえ、だいじなことゆえ確認をさせていただきたかったのです。そして魔王、あなたは言いましたね。ご自身はまずあとでよろしいと。度外視して構わぬと申しましたね」
「そこまで念を押されると素直に頷きたくなくなるな。仮に、わしを含めたすべての命を至福にしろと命じたとして、おぬしはできると抜かすのか」
「できるかできないか、ではなく、目指すか目指さぬのか。まずはそれこそが肝要かと」
「異議はない。が、達成不能な題目を立て、永久に果たせぬ約束を守りつづけるほどわしも愚かではない。その場合、期限を設けるぞ。おまえがわしを含めたすべての者を至福にしようと、できなかろうと、期限がくればわしはいちど暴虐の限りをすべての命に対してする。構わぬな」
「期限などと言わずに、いますぐにでもされてみてはいかがですか」
「おまえなぁ。話を聞いておったのか。わしは飽いておるのだ。単なる暴虐では何の意味もなかろう。違うか」
「ではやはり、究極の理想の至福に溢れた世界こそを目指さねば、もはや魔王さまは満足されないのではありませんか」
「その通りだがしかし」
「私は魔王、あなたを裏切ったりはしませんよ」
「裏切るやつに限ってそういうことを言いよる」
「ではこうしましょう。魔王、まずはあなたのような存在に対しても暴虐を働いてみましょう。これまでそれをされたことは?」
「配下を血祭にあげろということか」
「はい」
「たしかにないが」
「ではまずはそれを行い、魔王さまの気がどのように変わるのかを私は知りたいと望みますが」
「おまえが言うならそうしよう。いまはわしはおぬしの手足ゆえ」
 魔王は頭上に手のひらを向ける。世界中で殺戮を繰り広げる配下の魔物たちの位置を把握し、見えぬ糸でそれら無数の魔物たちの核を縛った。
 指を閉じ、いっせいに配下の者たちの核を握りつぶす。命を奪った。
「終わったぞ。とくに何も思わぬな。ほかの人間を殺すのとたいして変わらん」
「そうですか。ですがいま、この世界の至福の総量は確実に増えました。魔物たちの感じる至福よりも、それが失われて幸福を覚える者たちの至福のほうが濃度が高いようです」
「なぜそんなことがおぬしに分かる」
「魔王さまがそうお感じになられているからです。違いますか」
「癪だがその通りだ。どうやらわしは、人間たちを蹂躙してこそ愉悦を感じるらしい。虫や獣を蹂躙してもどうも思わん。やはりおまえたち人間に至福を与えてこそ、奪い甲斐を覚えるようだ」
「では、世界中の人間を至福にすべく私は尽力すればよいのですね」
「そう言うておろう。つぎにその言葉を口にしたらおぬしは終わりだ。代わりを用意する」
「それもよいでしょう。そうすれば魔王さま、あなたはこのさき一生、どれほど労を費やしても目的を果たすことができなくなるでしょうからね」
「あまりじぶんを買い被るな。おまえにそれほどの才はない」
「さて、どうでしょうか。たとえば私にはいま、敢えて言わずにいた考えがあります。魔王さまにはそれが何か解りますか」
「いまはもはや我らは一心同体。おまえの考えなどじぶんのことのように解るわ」
 言いながら魔王は男の胸中を探る。どうやら男は、世界中を至福にするためにはまず魔王という存在を亡き者にしなければならない、と考えていたようだ。
「当然の帰結だな。なぜ黙っておった」
「魔王、あなたはご自身がいるからこそ世界がこうも不平等で不公平で、至福の絶えた世界であることにお気づきではなられなかったご様子。いまはどうですか。お考えに違いは生じましたか」
「変わらぬが。わしがおらぬ世界がよいのならば、まずはそうした世界にすればよい。おぬしにはそれができよう。そもそもを言えばわしは、この世が至福につつまれるまでは暴虐を控えようと思っておったのだ。同じことだろう」
「いいえ。人々はいま、この世に魔王という脅威があることを知っています。いったん奇禍がやんでも、またいつやってくるのか、と怯えて過ごすことになりましょう」
「確かにな。では記憶を消すか」
「それをよしとするのであれば、そも麻薬でも幻覚でも、魔王さまの見せたい理想の世界を植えつけて、そのうえで悪夢を見せてやれば済む道理でしょう。私に記憶を植えつけたように。魔王さまはそれで満足なされるのですか」
「いいや。現実でなければ意味がない。真実の至福を与えてこそ、奪うに値する」
「なれば、まずは魔王という脅威を真実にこの世から消さねばならぬでしょう」
「それではおまえはわしに死ねと命じる気か」
「それでは魔王さまの願いは叶わぬでしょう。しかし、人々にそう思いこませることはできます。幻覚ではなく、真実に、魔王という脅威を手放せばよいのです」
「一時的に、か」
「一時的に、です。私がお預かりしてもよろしいですが、信用なさりませんよね」
「構わぬ。どの道、おまえの手足となるつもりなのだ。魔王としての能力、おぬしに預けよう。世界が至福に満ちたら返してくれ」
 魔王は箪笥の上から飛び降り、未だ床のうえにいる男に近づく。胸に手を押しあて、魔王としての能力を根こそぎ譲渡した。
「これでどうだ」
「ありがとうございます。ちなみに魔王さまはこれまで誰かから暴虐を働かれたことはありますか」
「ないな」
「ではもし、あなたさまよりも能力の高い者からすべてを奪い、損ない、破滅させ、絶望に突き落とせたとしたら、それは甘美に値しますか」
「さぞ甘美であろうな。おう、そうか。おまえにはいまわしの記憶が根付いておるのだったな。ではおまえはいま、わしからすべてを奪い、損ない、暴虐の限りを尽くすちからを手に入れたわけか」
「だとしても、脆弱な存在となったあなたを損なってもやはり何も感じないでしょうね。意味がありません」
「だろうな。わしはそういう存在だ。だがべつに構わぬぞ。暴虐を働かれるというのも、そこそこに愉快な刺激となろう」
「そんなもので満足してもらっては困ります。魔王、あなたには是が非でも、極上の、暴虐の極致を味わってもらわねば」
「ではどうする」
「私が思うに、至福の世界を築きあげ、それを損なっても大しておもしろくはないように思います。なぜならやはりそれもまた、脆弱な存在を屠るのと原理的には変わらぬからです」
「目から鱗だな。それはそうだ。ではいかがする」
 魔王は前のめりになり、目をぎらつかせる。男は娘の姿の魔王に手を伸ばし、ひょいと持ち上げると太もものうえに載せた。
「私たちで創りだしましょう。世界を平和にし、発展させ、より豊かにしていくなかで、魔王すら凌駕する暴虐の存在を」
「もう一人の魔王をつくろうというのか」
「はい。魔王さまよりも凶悪で、最悪で、醜い怪物を。至福に満ちた世界のなかにあって、その世界にすら染まりきらぬ異形の者を、我らの手で」
「暴虐の極致とは、では」
「はい。珠玉の暴虐を損ない、破滅させ、支配してこそ、暴虐の極致と存じます。魔王さま。あなたに足りなかったのは、暴虐の規模ではなく、矛先です。つねに弱者にばかり向けていたその矛を、もっと理不尽で強大で極悪非道な存在に向けましょう。それを造作もなく制してこそ、暴虐の極致にふさわしい。違いますかな」
「違わん。なんも違わん」
 魔王は興奮して鼻血がでた。
 ほしい、いますぐほしい。
 いますぐそれをここにほしい。
「いつだ、いつそれを生みだせる」
「しばし時間がかかるでしょう。魔王さま。それこそまずはこの世に至福の種をばら撒き、暴虐なる言葉、概念そのもののはびこる余地のない世界を築かねばなりません。そうした一点の曇りなき世界にあってなお芽生える極悪非道の種をまずは見つけなくては」
 魔王の視界にはパチパチと光が散る。世界はこうも希望に溢れ、うつくしかったのか。楽しい、こんなに愉快なことはない。
 はやく、はやくそれをくれ。
 わしによこせ。
 暴虐の極致を。
 最強最悪の極悪非道の種を、わしに。
「魔王、あなたはずっと欲していたのです。暴虐を働きたいのではなく、ただ純粋に、同じ目線で世界を見詰め、ぶつかり合える存在を、ただ望んでいた。なんて卑近でつまらない悩みに蝕まれていたのでしょう。力を誇示し、魔王としての存在意義を確かめつづけなければ満足に息もできない。最強がゆえに弱い存在だったのです」
 男の大きな手のひらが、魔王の頭を撫でている。魔王はその手に身を委ね、男の言葉を子守歌のように聞いている。
「あなたに欠けていたのは、力を振るう矛先でも、じぶんの分身でもない。ましてや、自身を凌ぐ最強最悪の敵でもない。暴虐の極致など端からあなたは望んでいなかった」
 己の存在を全否定するその言葉がふしぎなほどに心地よい。魔王は、否、もはや何の力も持たぬ非力な存在は、娘の姿すら維持できずに、ただ丸くなって男のひざ元で目を閉じる。
「約束は果たしましょう。あなたが言うように、私とあなたはもはや一心同体、運命共同、一蓮托生にして、同じ記憶を分け合ったそれそのもの。しかしあなたは気づいていない。僕は、本当にあなたの献身に、存在に、言葉に、救われていた。そのようにずっと感じていたのです。何も返せないと死ぬ直前に後悔していた、なにかを残してやりたかった、与えてもらってばかりで申し訳なかった。でもこうしてあなたのために生きつづける猶予をもらった。なればこそ、私はあなたを至福にしましょう。あなたの望みを叶えるのではなく、約束を反故にするのでもなく、いずれは生まれる巨悪をまえに、あなたに極上の生を味わわせてあげましょう」
 暴虐の極致、と魔王だったものはつぶやく。
「与えて、与えて、与え尽くしてなお与え、誰もが疑いようのなく永久につづく安寧が築かれたうえで、奪い、奪い、奪い尽くしてなお奪う、そんな存在が現れたときに、その奪い尽くす暴虐の化身に、あなたの渾身の暴虐をお見舞いしましょう」
 そのためにもまずは、と魔王の能力を預かる男は、魔王だったものの頬をゆびでつまむ。「世界を平和に、豊かに、誰もが至福を抱く余地ある秩序を築きましょう。むろんあなたもそこに含まれる、そんな世界を」
 どれほど時間がかかるかは分かりませんが。
 言い訳がましく付け加える男の声が、壁に開いた穴から吹きこむ夜風に流され、弱まりながらもなお部屋には響いて消え失せない。
推敲は後日します。半年は寝かせてからしたいと思います。
 
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魔王の飽食
初公開日: 2021年01月12日
最終更新日: 2021年01月13日
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