執筆記録:
執筆時間184:45(3時間04分45秒)
本文12063文字/163行。総執筆数29942(内訳:追加文字数21325/削除文字数8617)。
ショートショート。
【殺戮の法則】
 全世界を震撼させた連続大量殺人事件の被疑者が逮捕された。自然の猛威が襲ったその時代、世界的に人の遠距離移動が制限されていたなかで多発した不審死が同一犯による殺人かもしれないと見抜いたのは預言師の二つ名を冠する名探偵ただ一人であった。
 私はいち早く世界の裏側でひっそりと繰り広げはじめられていた彼女らの攻防を追いつづけた。私が記者であることを抜きに、純なる名探偵の狂信者の一人としての一側面が、そうした早期からの追跡を可能としていた。
 死者に共通点はなかった。ときに頭上から落下してきたブロックに頭をかち割られ、ときに線路の上に落ち、またあるときには不倫の現場を目撃されて逆上された恋人に殺されたりした。自殺と片付けられた被害者もすくなくない。犯人と目される人物が捕まってなお、被害の規模は未だ拡大の一途を辿っており、その全貌は闇の中だ。
 被疑者は犯行を否定しているが、取り調べには協力的であるそうだ。ほかの犯罪行為のいくつかを犯しているために仮の名目での逮捕起訴が真面目に見当されている。
 釈放などさせるものかとの警察機構の矜持が見え隠れした。
 どのようにして名探偵が被疑者に目をつけたのかは依然として公になっていない。説明されて理解できるような筋道があるのかすら、彼女のこれまでの活躍を追いつづけている私にしてみたところで首を傾げてみせるのが精々だ。
「その名探偵ってのは会いにきてはくれないのかな」
「私も会ったことはないんですよ。本当に真実彼女が一人なのかも定かではなく、性別だって彼女がじぶんは女だと明言したことがかつてあっただけのことで、本当は男かもしれない、どこぞの諜報機関のコードネイムかもしれない」
「もっと言えば人工知能であってもふしぎではないわけだ」
「そうですね」
 思っていたよりもずっと滑らかに会話が成立する事実に戸惑いを覚える。
 私は面会の約束をとりつけ、世界的大事件を引き起こしたと目される人物に強化ガラス越しに会話を交わしている。
「いまのところ僕は犯人ではないのに、どうしてこうも窮屈な思いを強いられているのだろうね。いくら警察だからって市井の人民の自由を奪ってよいはずもないのに」
「いちおう、児童ポルノを所持していた疑いでの逮捕だとのことですが」
「端末を見せてほしいというから任意で見せてあげたんだ。かってに中身を漁られて、いつ観たかも分からないポルノ動画を俎上に載せられたら、この世の大部分の男はみな塀のなかですよ。ことこれだけ素人の投稿した無修正動画が氾濫している世の中で、いったいどれが未成年の動画かなんて観る側が判るわけないじゃないですか」
 未成年者が自ら配信していることすら珍しくないでしょうに、と彼、被疑者こと宗坂(そうさか)クリツはそう言った。
 痩身で背が低く、ひっつめに結われた髪は長い。紐を解けば肩まではありそうだ。まつ毛は長く、肌の艶もよい。身に着ける服装にもよるだろうが街中ですれ違えば彼の性別を見誤ることもありそうだ。本人がそれを自覚しているかは分からない。ことさら男性性を強調するような言動をとるのは、或いは己の肉体が相対的に貧弱な側面を自覚しているがゆえかもしれなかった。
「で、そろそろ本題に入りたいんだけどいいかな。えっと、紗津井(しゃつい)さん、だっけ?」
「はい。紗津井セキと申します。セキでも、シャツイでも、お好きなほうでお呼びください」
「で、本当なの。セキちゃんの質問に答えたら名探偵さまさまの情報を教えてくれるってのはさ」
「本当です」
 私のほうが六つは年上なのだが、敬称のつけ方でいちいち機嫌を損ねたりはしない。安い挑発には乗らないのが主導権を握るコツだ。相手に、じぶんが主導権を握っていると錯覚させるのも常套手段だ。優越感に浸っている者には隙ができやすい。それを死角と言い換えてもよい。
「お約束しますし、ご心配なら契約書を御用意もしていますが、どうされますか」
「面倒だからそういうのはいいや。セキちゃんを信じるよ」
 だから暗にじぶんのことも信じてよ、と言いたげな微笑が不愉快だ。いったいじぶんがなぜそこにいるのかをすっかり忘れているのではないか。全世界で数万人をゲーム感覚で殺した犯人だと疑われているのだ。
 そしておそらく、と私は直観する。
 コイツが真実に殺戮を実行した犯人だ。誰にも気取られずに多数の命を、人の生を、弄んだ。
 予言師こと名探偵がいなければそれはいまでもつづいていただろう。そう、この男、宋坂クリツが被疑者として逮捕されてから例の連続不審死はぴたりと止まった。
「じゃあまずは何から訊きたい? ここは裁判所ではないし、弁護士もここにはいないから黙秘権はできる限り行使しないように約束するよ。知っていることは洗いざらい話してあげる」
「ではまず、いかにして宋坂さんが人を殺めたか。その手法からお聞きしてもよろしいですか」
「僕の生い立ちには興味ないんだね。哀しいなぁ」
 軽薄に言って、彼は椅子にふんぞり返る。右上の虚空を眺めながら彼は、
「成長ってのは確率を操作できるようになることなんだよ」
 まったくお門違いな言葉をつむぐ。「僕はもともとジャグラーでね。あ、ジャグラーってほら、道化師みたいなさ、ピエロが瓶とかボールとかポンポン宙に投げまわすでしょ。あれと似たのを趣味でやってて。百回のうち一回しかできなかったことを、練習を重ねることで、百回のうち十回、二十回、と成功する確率をあげていく。やがては百発百中にもなる。それが成長の意味だと僕は考えていてね。まあ、好きだったんだろうね。成長するのが」
 つまりが、確率を操作することに彼は熱中していた。
「それで」私はさきを促す。でき得る限り彼の述懐を妨げぬように、最低限の相槌だけを打つ。
「あるとき、確率の仕切りのようなものを突破していることに気づいたんだ。百発百中のなかで、百パーセントのさらにそのそとに確率を広げられることに気づいた。むつかしく言っているけれど、要は、確率を測る場そのものを拡張することができた。ただボールを投げていただけが、そのうちにボールの個数を増やし、ボールがナイフになり、やがてはどんな物体でも手玉にとれるようになる」
「成長から上達に変化した、ということでしょうか」
「そう。まさに」彼は前のめりになる。私を理解者の一人として認めてくれつつあるのだとその態度から推し量る。彼は心を開きつつある。そのように私が仕向けているのだから当然だ。
「お手玉に飽きたらつぎは石積みにハマってね。石からコイン、それから街中にあるポールや椅子や、捨てられているゴミ、なかでも空き缶や空き瓶なんかを積み木さながらに積み重ねて放置した。いまでもネットを漁れば僕の作品の数々が観られるよ。誰がそれを作ったのかって、一時期はそこそこ話題になった」
 私はその話題を知っていたが、あとで調べてみますね、と言ってメモをとってみせる。無知を装っていたほうがかってに相手がしゃべってくれる。立場が上であることをそこはかとなく示してあげる。
「積み木もあれでなかなかどうして確率のお遊びでね。物質の重力変移を予測して、重心を探るだけじゃなく、周囲の空気のうねりや、風の有無、環境の変化を加味して、それらを統合したバランスを考えて積んでいかなきゃならない。結構これがおもしろくてね。自在に積めるようになってから、僕は気づいた。視界がまったくこれまでと一変してしまっていたんだ。驚いたよ。たぶん観察眼の一種のようなものだったんだろうな。天気予報を見ずとも天候を予測できたし、人混みを歩いても誰がどう動くのかを予測できた。財布や端末を抜き取るのなんてお遊びにもならなかった。簡単すぎる。段々僕は世界に飽きてしまってね。で、もっと面白いことがないかと考えていたら」
「閃いたわけですね」
「そう。本当は何か社会にとって好ましい作品をつくってもよかったんだけど、それはだってもう結構ほかのひとが黙っていてもやってくれるじゃない? だったら僕は僕にしかできないことを、ほかのひとたちがしない方面でこの能力を発揮してみようかなって」
「人を殺すことはでは、宋坂さんにとっては極上のお遊びだったんですね」
「人を殺すことをというよりも、他人の行動を操ることを、かな。個々人の人生に宿る確率を操作できるようになってみたかった。物理に限らないけれど、自然現象ってやつは案外に予測するのが簡単だ。法則に従って起きている事象だからね。それはいまではかなりの精度で現象の結果を予測できる。量子の世界にまでちいさくなってしまうと、不確定性原理のように、何かを観測するまではその位置すら定まっていないといった確率の揺らぎが生じてしまうようだけれど、それだって突き詰めて考えれば、確率の問題だ。どこにどれだけ顕現しやすいのかは、確率の多寡で判断できる。ただ、人間の場合は」
「その確率が変動しやすいということでしょうか。ゆえに予測がしにくいと?」
「そう。生き物は物理法則の、とくにエントロピー増大の法則に反して見える。じっさいには従っているけれど、エネルギィを率先して吸収しやすい環境に身を置こうとする。その結果に、確率の変動が頻繁に起きてしまうんだけど、なんだ、思ったより話のできるひとだったんだねセキさんって」
 ちゃん付けでなくなったことで、彼が私に対して敬意を持ちはじめたことを察する。よい兆候だが気は抜けない。ここで賢さをアピールすれば、これまで積み上げてきたすべてが台無しとなり、却って彼との心理的距離が遠のく。
「宋坂さんのお話が分かりやすかっただけです。聞いていてとてもおもしろいです。ですが、そこからどのようにして宋坂さんは世界的に同時に大量の人を殺害できるようになったのかは、まだまだ予想もつきません。そこのところをお聞かせ願えるとたいへんにうれしいのですが」
「いいよ。セキさんが信じてくれるかは知らないけど、僕のなかの現実(リアル)を教えてあげる」
 それが真実であるかは定かではないけれど、と私は心の中でつけ足すが、表情にはおくびにもださない。
「僕はまず、社会的に成功しているひとたちに目をつけた。彼ら彼女らには、僕に似た視点が備わっている。成功するために確率を見定めて、高い確率で目的が達成されるような環境を築こうとする。そこに身を置こうとする。これは裏から言えば、彼らが極めて確率に支配され、その法則に忠実に生きていることの傍証ともいえた」
「人間のなかでもより自然現象にちかい存在という意味でしょうか」
「そうとも言えるし、そうではないとも言える。彼らは自然現象につきものの、崩壊ではなく、生き物に共通した創造を求めて動く。けれど自然現象と反していながら、自然現象のように確率の多寡を判断基準にして行動の幅をある一方向に収斂させていく。本来は安定という名の崩壊に向かって移ろうこの宇宙のなかで、彼らは混沌という名の秩序を築こうとする。仕組みを築き、回路を有する構造体を生みだし、関係し、循環し、総体として機能する何かしらを生みだそうとする。そういう存在は、ほかの雑多な生き物に比べて予測がしやすい。何を求めそのために何を欲し、その結果どうするのかが、手に取るように僕には解かった。もちろんそれは僕にとってという意味でしかないけれど」
 傲慢だ、と思うが、いまさらの所感だ。他人の人生を狂わせ、奪おうとする者が傲慢でないはずがない。
 私は敢えて魯鈍な理解者を演じる。
「私の意見で恐縮なのですが、それは宋坂さんもまたそうした道を歩いているある種の法則に忠実な存在だ、ということでしょうか」
 的外れな所感に苛立ったのか、彼は声に険を滲ませる。
「道があればその道を見ればいい、これはそういう単純な話だよ」
「俯瞰の視点で世界を見られる、宋坂さんには特殊な技能が開花しているみたいです」
「僕は目をつけた彼ら彼女らの現れそうな場所へとさきに辿り着いて、彼ら彼女らのほうから接触してくるように仕向けてみた。驚くほど僕の思った通りになったよ。まるでクヌギの木に蜜を塗っておけばカブトムシやクワガタムシが寄ってくるみたいに単純だった。そこからさきは操縦桿を握ったパイロットみたいなものでね。巨大な飛行船に乗りこんだらあとは行きたい場所に舵をとればいい。縁を結んだ彼ら彼女らの影響力を用いて僕は世界中から情報を集めた。個々人の私生活を覗きこむような真似なんかしなくていい。個々人のほうからそうした情報を、肌身離さず持ち歩く端末を用いて提供してくれる。こんなのはいまじゃ子どもだって知っている世界の真実だが、誰もそれを奇異に思わない。危機と見做さない。すぐそこに忍び寄る影があまりに大きく、安らかな眠りをもたらす夜そのものだと勘違いしてくれている。僕はそんな無垢で愚かな個の群れに、一時の娯楽を提供してあげたにすぎない。死がすぐそばにあり、ほんの運命の気まぐれによっていともたやすく取りあげられる世界にじぶんたちがいるのだと思いださせてあげたにすぎない。生きることの素晴らしさを気づかせ、じぶんたちがいかに恵まれた環境に、時代に、社会に生まれ落ちたのか、守られているのか、を意識させたにすぎないんだ」
「それが大量に人を殺した動機ですか」
「動機は娯楽だよ。暇つぶし。ただしてみたかったから、そうしただけで、僕にできてしまったからしてみただけだ。いまの話は、客観的な事実だよ。僕のしたことの社会的意義を改めて定義してみただけ。最初にも言っただろ。僕はほかの偉人たちみたいに社会貢献をしたかった。でもそんなのはあまりにふつうすぎる。おもしろくない。だから僕にしかできない方法で、僕は社会の役にたってみせたってわけ」
「その結果が無差別の殺戮ですか」言葉に刺が交ったのを自覚し、ほほ笑むことで誤魔化す。
「無差別? ああ共通項がないってことになっているのか。あるよ。あるに決まってる。僕が何の考えもなしに人を殺したりするものか。なんだ、そっか。セキちゃんも僕をそんじょそこらの人殺しと同じに見做しているんだね」
 がっかりだよ、がっかり。
 肩を大げさに落とす彼は、道化を演じる無邪気な子どもに見える。こんなふざけた人間一人のために大勢が死んだ。私には事実を明らかにする義務がある。使命がある。私はいよいよすべきことをしようと固く心を閉ざして、彼に阿諛追従する。
「すみません、私が愚かなばっかりに。ですが一介の人間風情が神の行動原理をイチからジュウまで見抜くなんて真似はできるものではないのではと大勢の愚かな民の一人としてそう思います。ご寛恕願えるとうれしいのですが」
 暗に、神ならこれくらい許せるだろ、と発破をかけた。通じたかは半々だ。
「まあそうだよね。ちょっとセキさんは話が通じるひとに思えたから、期待しちゃったんだ。でも僕のほうですこし予測に齟齬があったみたいだ。だいじょうぶ、セキさんへの評価は修正したからもう僕はあなたに失望したりはしないよ」
 かろうじてまださん付けをされている。が、彼はもうこちらをじぶんたち側の人間だとは見做さないだろう。それが私にとって好ましい事態なのかはいまのところ判断のしようがない。手駒としての利用価値がないと思われたならすこしばかり気が休まる思いだが、それゆえにいつ死んでもらってもいいと思われたなら、冷や汗を禁じえない。
 あまり時間をかけている場合ではなさそうだ。信頼関係を結んでからと思ったが、そもそういう関係に価値を見出すような人格を彼に期待するほうが間違っていた。
 私は方針を変えた。
 最初の被害者と目される男性をどうやって殺したのか。私は単刀直入に彼に訊いた。
「ソイツは仕事にばかりかまけて、子どもの世話をせずに、外に女をつくって、それでいて親戚一同には仕事熱心な家族思いの父親を気取っていた。行動様式も野鳥の習性のように単純で、どこに何を置けば躓いてくれるのかを予測するのは造作もなかったよ。躓くというのは言葉の綾ではないからね。真実彼には、ブロックに躓いて高所から落ちて死んでもらった。躓くように仕向けるために、三百ほどの細工を施したけれど、これは確率の揺らぎを収束させるためのもので、まあボーリングにおけるレーンみたいなものだ。両側の溝に落ちないように緩衝材を敷いたりするだろう、あれをしないとさすがの僕でも確率を測ることができない。操作できないのさ」
 ひるがえって言えば、舞台さえ整えれば彼には人間の行動を操り、事故死するように仕向けることができるということか。にわかには信じられないが、ではほかにどんな可能性があるのかと問われても答えられない。
「ふしぎに思わないかな。どうしてみなはあれほど自動車の行きかう外を歩いて事故に遭わないのか。どうして事故に遭ってしまう者がいるのか。交通ルールに従えば、事故に遭う確率を減らすことができる。みなが交通ルールを守っていればより安全にそとを出歩ける。ただそれだけのことだろう。誰もがルールを守らなければ、そこら中で事故が多発して、自動車に乗ろうとする人間は減るだろうね。似たようなものだよ、僕のしていることは。暗黙の内に従っているルールにちょっとした例外をつくってやる。そこに対象人物を落としてやればいい。それをするだけの情報網と道具を僕はすでに手に入れていたんだからね、あとは実行するかしないかの判断があるのみだ」
「ではほかの被害者の方々もそのようにして殺したのですね」
「んー、一ついいかな。きみたちは僕のしたことを殺人だと言っているけれど、これって起訴できるの? だって僕のしたことはジャグリングと同じだよ。ボールを投げたり、積みあげたりしただけだ。僕の蹴飛ばした小石に数年後偶然躓いて死んでしまった人がいるとして、たしかに僕がそのきっかけをつくったとはいえ、それを罰することがこの国の司法にできるのかな。世界のほかのどんな国にだって、偶然を用いて人を殺した者を捌く法はないんじゃないのかい。業務上過失致死と言うなら別だけどね。僕のは本当にただ、偶然そうなるように確率を操作しただけだ。殺意はあったよ。でもそんなのは呪いのようなものだ。呪いが偶然大量に成就したからって、占いが当たったからって、その責任の矛先を僕に定めることが可能なの?」
「だからこうして捕まってみせたと?」
 なぜ彼があっさり捕まったのかを遅まきながら考え至った。そもそも検察だって、彼を殺人罪で起訴しようとはしていない。逃がさぬようにほかの罪をでっちあげているのが現状ではなかったか。
「気づいた? そうなんだよね。彼らは僕を裁けない。だって彼らには、僕に見えているこの世界を見るための目がない。能力がない。魔法を使えないんだから。そんなものがあることすら証明しようがない」
 なぜなら再現できないからだ。
 特殊な能力を駆使して行われた犯罪を、どの国であっても裁くことはできない。魔女狩りをするような国ならば別だろうが、その能力が真実この世に存在すると科学的に証明できないかぎりは、再現できない限りは――。
 ――誰も彼を止められない。
「無理だよ。誰にも僕の真似はできない。僕はいまだってここから出ようとすればいますぐにでもでていける。そうしないのは僕の意思だ。僕がここに留まっていたいと欲しているだけだ」
「その言葉が真実だとすれば、まるで私がいまこうしてここにいることすら宋坂さんの意思によるもののように思えてきますね」私は動揺していた。そんなはずはないと知っていながら、それを否定するだけの論理をじぶんに示せない。私はなぜ彼にこうして会いにきた。話を聞きにきた。彼が彼であること以上に、そこに動機は見当たらなかった。
「最初に約束したよね」彼はもう軽薄な笑みも、安い挑発もしなかった。「僕が僕の胸中を明かしたら、質問にしょうじきに答えたら、セキさんは僕に例のあのひとの情報を教えてくれる。予言師と呼ばれる名探偵の情報を」
 ねえ紗津井セキさん。
 彼は私の名を繰り返し呼ぶ。
「僕ほどの人間があらゆる手を尽くしてもどうしても辿り着けない人物のことを、どうしてあなたは知っているのだろう。どうやってその情報を仕入れましたか。どうやってそのひとが僕の犯行をつきとめ、僕を名指しで糾弾し、各国の調査機関に情報を提供したことを知り得たのですか。あなたはただのジャーナリストだ。それもふだんは芸能人のスキャンダルを追うような、けして調査機関に属するような特別な人間ではない。そのはずのあなたがなぜ僕ですら探れない人物の情報を握っているのですか」
 知っていることはすべて教えていただきますよ、と彼、宋坂クリツは組んでいた手を解き、ゆったりと背もたれに寄りかかる。
 目だけで見下ろされ、私は唾液を呑むのを我慢できなかった。ごくり、と静かな部屋に音が響く。
「このためだけにわざと?」私は訊かずにおれなかった。「わざと捕まったと? 私に会うために? 彼女の、予言師の、名探偵の手掛かりを知るためだけに、わざとこうして?」
「だとしてもそれを確かめる術をあなた方は持たないんじゃないですか」
 もはや当初の面影はない。目のまえにいるのは先刻までの犯罪自慢をする人格破綻者などではなかった。
 否、破綻はしているのだろう。常軌を逸している。逸脱している。人の理をこの人物は踏み越えてしまったのだ。
「私が知っていることはそう多くはありません」しゃべるしかなかった。端から聞かせるつもりではあった。そのつもりだったが、いまはもうこれを明かすことの危険性をひしひしと感じる。押しつぶされそうだ。
 私はいま、私の憧れにして、信仰の対象を、悪魔のような人物に明け渡そうとしている。心臓を掴ませる契機を与えようとしてしまっている。
 予言師、名探偵、この世の悪を暴くことのみに全身全霊のそのひとはそれでもなお、窮地を脱し、この人物の横暴を止めてくれるだろうか。そうあってほしい、そうあるはずだと信じたいが、そう妄信するだけの余力をいま目のまえにいる人物はものの見事に、完膚なきまでに私から剥奪した。
 教えるべきではない。
 私の理性はそのように判断するが、私の本能が、約束を破るな、裏切るな、と全力で警告を発している。
 いまここで最初に交わした約束を反故にし、信仰の対象を優先して庇護しようとすれば、私は目のまえのこの人物によってほかの大多数の被害者たちと同様に、不慮の事故に遭い、ときに突然の自殺に走っていまある環境を失うのだろう。
 死ぬのだろう。
 それを殺人だとすら見做されずに。
 数多の死と同列に語られ、墓の下に埋葬される。
 予言師、名探偵、素性の知れない唯一彼女の存在のみが、闇に埋もれた真相を、法ですら裁けない罪の重さを白日の下に曝けだす。
 暴く、と私は彼女の推理をそう呼んでいる。
 予言などではあり得ない。彼女のそれは、予測でも、予言でも、ましてや確率の操作なんてけったいな代物でもない。純然たる事実の積み重ね、検証の積み重ねによって得られるそれしかあり得ないという逃げ場のない監獄だ。
 彼女は不確定な現実のなかに揺るぎがたい真実を掘りだし、暴き、削りだされた監獄へと、そこに納まるべき人物を突き落とす。
 突き落とされ、閉じ込められた人物は、これまで目を背け、ときに欺いていた真実を直視することとなる。それによって何がもたらされるのかは、当人にしか分からない。否、当人にすら解らないかもしれない。
 だがそこに生じる変化、そのことによってのみ生じる波紋のようなものをこそ彼女が望んでいるのは、これまでの彼女の解決してきた数々の事件を追ってきた私だからこそ断言できる彼女のゆいいつの性質だ。
 彼女はそういう人格だ。彼女の行動原理とはかくも単純で、ゆえに御しがたい。
 揺るぎがたいがゆえに、確率の操作すら及ぼせない魔の領域と化している。
 私は、私の知り得た彼女の情報を、名探偵の側面像を、過去の事例と統計データを列挙しながら、宋坂クリツに惜しみなく提示した。
「つまりが、何も解っていないってことですね」予想はしていたのか、宋坂クリツは表情を変えない。端正な眉をゆびで撫でつけ、彼女はどうやって推理の提供を、と質問する。
「特定の捜査官が仲介役になっているようで。というよりも、彼女とやりとり可能がゆえに捜査官として抜擢されたというべきかもしれません」
「その人物については? いや、いい。それは僕のほうで調べよう。相手が予言師でなければ見つけるのは容易い」
「これは私の憶測ですが、見つけた時点でおそらく仲介役は換わるものかと」
「僕の行動が監視されていると?」
 まさか、と言いたげに口元をほころばしたあとで、じぶんが相手にしようとしている人物がどんな相手なのかを思いだしたようだ。「仮想僕といったところか」
 彼はつぶやく。じぶん自身がもしじぶんを標的にしたとしたら。目まぐるしく入り乱れる確率の揺らぎに、彼の頭脳が熱を持ったのが、比喩でなも誇張でもなく、強化ガラス越しに伝わった。
 頭脳だけが優れているのではない。熱を帯びてなお崩壊しない細胞の進化を思わずにはいられない。突然変異、と私は思うが、単なる錯覚であってもふしぎではない。目のまえの尋常ならざる人物をじぶんと同じ人類と見做すよりも、新たな進化を経た別種の人類と見做したほうが脳の負担が少なくて済む。
 そろそろ時間です、とアナウンスが流れる。面会時間の終焉が近づく。
「セキさんは直接会おうと本気で探したことはあるんですか、彼女に」彼の最後の質問に、私は、いいえ、と首を振る。じぶんの髪の毛が口に入り、息を吐いて払ってから、「推理の邪魔をしたくはないので」と本懐を明かす。
「ならもし僕が彼女を見つけだしても、セキさんには知らせずにおきますね。ああでも、死んだらニュースで流れるかな」
 顔色の変化を丹念に観察されているようで、全身を舐め回されるのに似た嫌悪感が湧いた。
 私は私の仕事を放棄し、そのやっすい挑発に乗った。席を立つ。
「残念ですが、あなたはここから出られませんし、ふつうに法律で裁かれて、罰を受けますよ。だって彼女にかかればあなたの思考なんてスケスケの丸見えで、辿った筋道をえんぴつでなぞって百均のノートに書き写すことだってわけないですからね。確率の操作? へぇ、ずいぶんおもしろい趣味をお持ちですね、きっと彼女なら海外ドラマを十本同時に流し観しながらその片手間にでも習得してくれますよ。再現なんか簡単ですよ、あなたはここから出られない、もちろん彼女にも辿り着けないし、きっと彼女はもうあなたのことなんか忘れてほかのもっと知的な事件を解決すべく貴重な頭脳を働かせているころですね。おもしろい話をありがとうございました。死刑が決まったらカップラーメンの差し入れでも持って会いにきますね。どうかそれまでお元気で」
 言った。
 言ってやった。
 ぜぃぜぃ、と荒ぶった呼吸を整えて鞄を手に持ち、私はくるりと背を向ける。
 扉を開けて、思いのほか響くじぶんの足音をじぶんのものではないように感じながら、その部屋をあとにした。
 私は事務所に戻って、この日の会話をさっそく記事にした。どこの新聞社に持って行って載せてもらおうかと吟味する。出版社にいって本にしてもらってもよい。
 一通り企画を調整し、メモを清書しながら、並行して録音しておいた宋坂クリツとの会話を文字興しする。
 何気なくニュースサイトを覗くと、途切れていた連続殺人事件とみられる被害者がふたたび発見されたと速報が流れていた。
 嫌な予感がして知人に連絡をとる。警察組織の動向に詳しい同業者だ。
「何か動きあったら教えて。宋坂クリツ関係で」
「耳聡いな。どっから聞いた?」
「何、なんかあったの」
「裏を取ってる段階だからまだハッキリと判らないが」
 これはつまり、まだ公にするな、の意だ。
「宋坂クリツは脱走したそうだ。行方を晦まし、いま県警含め、自衛隊の出動まで要請された節がある。こりゃ大ごとになるな」
 礼を述べ、見返りのつもりでデータを送信する。さっそく中身を確認したようで、そいつは語気を荒らげた。
「会ってきたのか。でもどうやって」
「向こうから会いたいって面会を許可してくれた」
「脱走に一枚噛んでないだろうな」
「私はただ話をしただけだけど」
「そのとき脱走を匂わすようなことは言っていたか。どこに消えたとか勘でもいい、何か分かるか」
「まったく」
 予言師、名探偵、彼女へのなみなみならぬ執着をみせていたことは黙っておく。
 これからどうなるかの感想合戦を数分して通話を終える。
 疲れた身体をソファに横たえ、私は目をつむる。事務所のセキュリティは万全だろうかと想像し、強盗が入っただけでもこの命は危ういな、と警備の手薄さに笑みが漏れる。
 いまこの瞬間に私の周囲の環境が操作されて、私の死ぬ確率が急上昇していたとしてもそれを私に確かめる術はなく、見抜くこともおそらくできないだろう。なるべく予想外な行動をとってみて、規則性のある行動様式に変数を投入してみてもよいが、それはそれでなんらかの操作の結果のようにも思え、仏様のたなごころの上で転がされる孫悟空の気分を味わう。
「どうしたらよいだろうね。あとは任せてもいいのかな」
 まどろみに沈む間際、あべこべに奥底から浮上してくる彼女の気配を私は感じる。私に蓄積された記憶を一瞬で掠め取って、彼女は私の肉体の壇上にのぼる。
 私は彼女のことを何も知らない。知りようがないのだ。私は彼女と会うことができないのだから。
 いつだって情報を提供し、記憶を覗かれ、寝ているあいだに肉体の主導権を握られる。
 いいや、昼間のあいだだけ握らせてもらっているにすぎないのだ。優越感、上の立場、崇め、強請られ、脅かされる側の者の役目を私は担わされている。虚栄をまとった女の仮面を、彼女は私を通し、被っている。
 予言師、名探偵、正体を明かさぬ存在しない存在。
 窓から差しこむ月明かりのなかに、目覚める女の影がある。
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殺戮の法則
初公開日: 2020年12月23日
最終更新日: 2021年01月18日
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