「舅舅!」
 晩夏のある日。うだるような暑さをものともせず、蓮花塢の門前にほがらかな声が響く。朝っぱらからやかましいな、と眉を顰めるも江澄の口元はゆるんでいてよろこびは隠せない。
「よく来た、阿凌」
 正式に家を継いだ甥の顔を見る機会は随分減った。会うたびに凛々しさが増しているようで、頼もしくもあり少し寂しくもある。そんな年寄りじみた感慨などお構いなしなのだろう、どんなに背丈が伸びようが子どもっぽさを恥じもせずに見せつけてくるのは金凌が持つ魅力のひとつなのだと思う。このまぶしいまでの愛嬌が彼から損なわれることがないようにと願う。
「舅舅、弓の勝負をしようよ!」
「弓?」
「うまくなったんだ、きょうこそ舅舅に勝つ!」
「生意気な、だれかにコツでも教わったか?」
 鼻で笑って問うてやると、あからさまにぐっと詰まる。まるで禁言術でもかけられたようじゃないか。当てにしていない答えを待たずに江澄は邸の奥へ足を向けた。金凌も慌てて後を追いながら、すれ違う顔見知りたちと忙しなく挨拶を交わしている。
「ねえ、舅舅!弓をやりにいこうってば」
「午後からなら付き合ってやる」
「ほんと?」
「その代わり、朝の仕事を手伝え」
 そうして金凌が連れてこられたのは、家主の私室も厨も通り過ぎた裏庭とは名ばかりの空き地だったはずの場所。
「わぁ…、なにこれ」
「見て分かるだろう、畑だ」
 以前、来たときは乾いた土埃が舞っていたような気がするのに、目の前には勢いよく繁る葉、茎、蔓。ちらほら色づいた実も見えるけれど、育てているのか勝手に伸びた雑草なのか判別は難しい。金凌が呆気にとられていると緑の一角がガサガサと音を立てた。草間からひょっこり姿を現したのは藍曦臣であった。いかにも上等な青磁色の着物に白いたすきを掛けて、手元の大きな籠には胡瓜やら茄子やらを満載している。
「おや、金宗主」
「沢蕪君、っ!」
 条件反射で拱手の姿勢をとるが、じろじろと凝視するのは抑えられない。にっこりと挨拶を返す藍曦臣の額には汗がにじんでいる。
「おい、曦臣、そんなに採ったのか」
「これ以上置いておくと、大きくなりすぎるよ」
「やっぱり果菜はたいへんだな。いっぺんに実が生るのも考えものだ」
「次植えるときはほどほどにしよう」
 収穫物を確かめながらそんな会話をする江澄と藍曦臣に金凌は大きくため息をつく。彼らが親しい仲であることは承知しているが、こんな所帯じみた関係だなんて思いもしなかった。場違いなところに居合わせたような気がして落ち着かない。
「阿凌!おまえはこっちのを採ってくれ」
 ぼんやりしている金凌を江澄が畑の中から呼んでいる。たわわに実る赤い小さな粒は、金凌が初めてみるものだった。
「舅舅、これなに?」
「分からんがうまい。異国の旅人からもらったのを植えたらよく育った」
 軽くひねるとへたの上がぷつりと折れる。しっかり赤くなったのだけ採れ、と教えられると、根が素直な金凌は黙々と作業にあたる。
 汗を流して収穫している金凌のもとへ、繁みをかき分けて藍曦臣が顔を出した。いたずらっぽい笑みが珍しい。金凌の手元からよく色づいた実をひとつ取ると、水筒の澄んだ水でざぶざぶと洗った。
「はい、金宗主」
 差し返された赤い実は水滴をはじき輝いている。金凌はぴかぴかの美しい実と微笑む男の顔を見比べぱちぱちと瞬く。ほら、と目で促され、意を決してぱくりと口に放りこんだ。薄い皮に歯を立ててひと思いに噛みしめる。ぷつりとはじけてとび出した厚い果肉とちゅるりと舌を滑るひかえめな種。はじめは青臭いと思ったけれど、ふわりと鼻に抜けた香りは濃い。爽やかさの中にほんのわずかに甘美なものを感じて、金凌は頬が赤くなるような気がした。みずみずしさをしっかりと味わってごくりと飲みこむ。
「お味は?金凌」
「おいしい、です」
「それはよかった」
 にこにこと嬉しそうに笑う藍曦臣は、普段の印象と違っていて、どうにもむずむずするがいやではない。金凌もこの奇妙な状況がなんだか可笑しくなってきて、目を見て笑い合うといっそう親しみを感じた。
「金凌、舅舅には内緒だよ」
「ふふっ、もちろん!」
 畑は広く、あれやこれやと相当な種類の作物が植わっている。収穫だけでなく株の手入れに雑草刈りと、金凌と藍曦臣は畑の主にこき使われた。わぁわぁと賑やかな声が晴天に響く。三人と畑の緑の間を午前の風が吹き抜けていた。
「舅舅!これ採っていいやつ?」
「それはもう株ごと抜いてくれ、曦臣」
「金凌、汚れるよ、あなたにもたすきをしてあげよう」  
「ばか!阿凌、それは雑草じゃない」
「うわっ、かまきり!見て、舅舅、沢蕪君」  
 気づけばもう太陽が中天に差しかかる。ぎらぎらと照る光は秋の訪れを拒んでいるようだ。空を見て、藍曦臣と金凌を見て、畑を見渡して、江澄はたすきをほどいた。
「そろそろ切り上げるか」
「やっと終わり?働かせすぎだよ、舅舅!」
 元気いっぱいの声で疲れた疲れたとわめく金凌を無視して、江澄は残りの仕事をいくつか藍曦臣に伝えて一足先に邸内に戻る。置いていかれたことに気づいて騒ぐ金凌を藍曦臣が宥めながらもうひと頑張りさせようとしているのが背中に聞こえて江澄は笑う。文句を言いながら最後までちゃんと手伝うところが金凌のかわいいところだ。
 厨房に入り、よく働いてくれた甥のために昼餉の支度をする。ゆうべのうちにあらかた仕込んでおいたからそう時間はかからない。加えて、さっき採ったばかりの野菜をいくつか使う。格子窓の向こうからは畑のふたりの声がぼんやりと風に乗ってくる。ひときわ甲高い金凌の声が聞こえたが、何を騒いでいるのか。少しして、今度は戸口から落ち着いた声がした。
「舅舅、金凌の着替えはないかな?」
「ああ、曦臣、阿凌がどうした」
「最後に水を撒いたところで転んでしまってね、泥だらけのまま厨に入ったら舅舅に叱られると」
「それで曦臣を遣いに出したのか、仕方ないやつだな」
「どのみち汗だくだからと、水を浴びにいったよ」
「分かった、こっちが済んだら持っていく」
「舅舅は何を作っているの?」
「ん、そのまま食える野菜を切ってるだけだ、曦臣はその鍋をかき回してくれるか」
「はいはい、ああ、いい匂いだ」
 大きく息を吸ってふわりと笑う藍曦臣が幸せそうで、江澄は見惚れてしまう。危うく指を落としそうになりながら、なんとか野菜を切り終えると鍋の具合を確かめようとそばに寄った。
「味見するか?」
「ああ、ぜひ」
 江澄が小皿にすくった汁を手渡すと、上品なしぐさでそっと啜る。濡れた唇をぺろりと舐める舌に心臓が跳ねた。
「…、どうだ?」
「うん、おいしい」
「そうか、よかった」
 江澄は鍋を火から降ろす動作でこっそり目を逸らす。しかし、藍曦臣はうっすら染まった江澄の頬を見逃さない。
「舅舅の作るものは何でもおいしいよ」
 赤い肌を指先でするっと撫でて、耳元に口を寄せささやいた。
「藍曦臣!」
「かわいい舅舅」
「そっ、その呼び方はよせ!」
 はは、と笑う藍曦臣にからかわれたと分かっても、顔を真っ赤にする熱は引かない。いよいよ楽しそうな藍曦臣が江澄の耳をこしょこしょくすぐると江澄はきゅっと肩をすくめて目を瞑る。その隙にがばりと抱きしめられてしまっては、慣れた心地よさに全身から力が抜ける。
「阿澄」
「あ、藍渙、や…」
 たくさん汗をかいたことを思い出して身をよじろうとしても藍曦臣の片腕の力の方が強い。もう一方の大きな手で顔を仰向かされると唇が降ってきた。
「ん、ふ……」
 ゆるやかでやわらかい口づけはふわふわと長く続いた。角度を変え、しっとりと触れ合うのがたまらなく気持ちよかった。
「阿澄…」
「ぁ、んっ、…は」
 息継ぎをして、もう一度と鼻先をこすり合わせたそのとき。
「舅舅ー!!どこ!?服貸してー」
 江澄の反応は速かった。とろけていたはずの表情を瞬時に叩き直し、渾身の力で藍曦臣の身体を引きはがす。離れる間際、いかにも残念そうに手の甲をつつっとなぞった藍曦臣の指にも惑わされることはない。
「藍曦臣、先に餐室に行っていてくれ」
 盛りつけた料理や食器を載せた大きな盆を無理やり持たせて藍曦臣を厨房から追い出そうとする。ぐいぐいと戸口まで背を押しやったところで藍曦臣が振り返った。
「阿澄…」
「阿凌を着替えさせたらすぐに行く」
「午後も金凌と遊ぶんだろう?」
「約束したからな…」
「そう、」
 藍曦臣は不満げな表情を隠しもしない。
「ああ、もう!」
 金凌の声はすぐそこまで来ている。
「分かった、夕方には迎えを寄越すよう金鱗台に連絡しておくから…」
「江澄はそれでいいの?」
 恥もなにも押し殺して言っているのに、この期に及んで確かめてくる藍曦臣にカッと苛立ちが湧いた。
「あ、あなたが駄々をこねるから……っ」
 そこまで返してぐっと言葉を飲みこむ。そうじゃない。彼の我儘に仕方なく付き合っているかのような物言いはうそだ。
「ちがう、いや…その……」
「阿澄、言ってほしい」
「あ……、ぅ、よ、夜は…」
「うん」
「あなたと…、ふたり、で、いたい」
 最後が掠れたことと、目を見られなかったことは許してほしい。藍曦臣が持つ盆の食器ががちゃりと揺れた。その音に顔を上げると、この世の美と幸福をすべて集めたような微笑みが江澄を見ていた。両手はふさがったままで、上体を差し出してくる。江澄は逃げ出したくなる気持ちをどうにかこらえる。白い両頬を掴まえて、ほんの一瞬、押しつけるように唇を合わせた。
 
 盆を携えて先に行く藍曦臣の満足げな背中を眺めながら、江澄は午後の弓の勝負は甥にばれないようにうまく負けてやらなければならない、と深く嘆息した。
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「飛加足」
初公開日: 2020年08月30日
最終更新日: 2020年09月03日
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【できました】
中華ドラマCQLの二次文字
曦澄
4本の話
中華ドラマCQLの二次作文曦澄 *r18
qilin03iq
不眠症審神者
本編。書きたいところから書き殴っています。 未完成品につき加筆修正はお手の物! 何時の間にか更新され…
藤宮
菊の花にまつわるひぜむつ
会話もあまりしない部類のひぜむつ明るい話ではない
橋間